強面なレイヤンじいさんの孫へのプレゼント(ケニア)

目黒 紀夫

わたしの場合、自分より年上の人(とくに男性)に話を聞くのは、年下や同じぐらいの年の人に話を聞くのよりも緊張する。ましてや、体つきは大柄でがっしりしていて、強面で口数も少なければ笑顔も少ない長老ともなると、緊張はいやがおうにも増していく。わたしがレイヤンじいさんにはじめて会ったときに抱いたのは、今まさに書いたような印象で、それから聞き取りをするなかでも、何か失礼なことを聞いてしまわないか、質問に答えることに苦痛を感じていないかと心配しっぱなしだった。

ケニア南部のサバンナに位置するわたしの調査地に暮らすのは、ウシ牧畜民として有名なマサイだ。最近では、若者だけでなく多くの長老も洋服をビシッと着るようになっている。そうしたなかにあっても、レイヤンじいさんはいつも変わらず、布を服代わりに体に巻いて過ごしている。ただ、おしゃれなワンポイントといわんばかりに、そうした伝統的な装いのうえに帽子をかぶっているのだが、それがまた何ともいえず様になっていてカッコいいとわたしは思う。

レイヤンじいさんと妻のモイパばあさん

 

本人が言うところによれば、彼が生まれたのは1930年。すでに80歳を超えている計算だ。彼が生まれたころであれば、人びとは牧畜を主な生業として営んでおり、ひとつの家族が数百頭のウシをもっていることも珍しくなかったという。それから現在までに、町ができてお金を使って物を買うことが当たり前になったり、他民族が移り住んできて農耕が広まったり、あるいは、キリスト教や学校教育が地域に根づいたりして、人びとの暮らしぶりや価値観も大きく変わってきたという。

レイヤンじいさんは、地域の歴史や文化、社会にくわしい長老として地元で尊敬を集めてもいる。だから、いざ対面すると緊張してしまうとはいえ、わたしはこれまでに何度も彼のもとを訪ねては、マサイの伝統的な価値観や社会構造、独立後の地域開発の歴史や最近の環境保全プロジェクトの評判など、いろいろなことについて教えてもらってきた。そうするなかで、少しずつ緊張もしなくなり、久しぶりに訪ねると笑顔でむかえいれてくれるようにもなってきた。

ところで、今となっては、レイヤンじいさんの子どもたちはみな親元を離れて生活をしており、彼に会いにいっても目にすることはない。ところが、前回の調査のときに会いにいったら、たまたまひとりの孫(男の子)と一緒に座っていた。そして、挨拶をして、その横に腰かけて見ていると、長老は山刀で1本の木の枝に何か作業をほどこしていた。どうやら、ほそい横枝を伐って、鞭のようなものを作っているようだ。そして、作業を終えると、それを目の前に座っていた1歳ほどの孫に手渡した。牧畜民のマサイが家畜を放牧に連れだすとき、家畜に指示を出すための杖や枝をもっていく。レイヤンじいさんは、牧畜民として生まれた孫に、人生ではじめての放牧用の鞭を作ってあげていたのだ。その作業中も、プレゼントとして孫にあげるときも、レイヤンじいさんの表情はいつもどおり(の強面)だった。

レイヤンじいさんと作りたての鞭を手にする孫

 

それを見てわたしは、今までさんざんレイヤンじいさんにマサイの文化や慣習について話を聞いてきたけれども、それだけでは分からない、日々の生活のなかでの人づきあいならぬ孫づきあいがあることにあらためて気づかされた。レイヤンじいさんによれば、彼が生まれたころと現在とでは、マサイ社会の多くのことが大きく変化してきたという。昔は家畜をたくさんもっていることが重要だったけれど、今では農耕が牧畜以上に頼りになる生業であるし、学校教育をきちんと受けていることが子どもの将来にとってものすごく大切だという。とはいえ、マサイとしての家畜や牧畜への愛着が失われてしまったわけでもなく、頭数は減ったとしても家畜をもちつづけたいという住民は多い。

これからも、わたしはレイヤンじいさんにはいろいろなことを聞くと思う。ただ、それとは別に、レイヤンじいさんが家族や友人とどのように接しているのかということについて、もっと注意をしていこうとも思う。あの男の子が大きくなっていくなかで、おじいちゃんは孫にたいして、お母さんの畑仕事を手伝うようにとか、学校に行ってちゃんと勉強するようにとかいうのかもしれない。そのいっぽうで、無言で鞭を作ってあげたように、牧畜民マサイの男としての生き方を、言葉ではなく態度で示していくのかもしれない。そのときも、レイヤンじいさんはいつもと変わらぬ強面でいるのだろうか。今でも多少は緊張するのだけれども、これからもレイヤンじいさんには、いろいろなことを教えてもらいたい。