今となっては見られないマサイの狩猟(ケニア)

目黒 紀夫

ケニア共和国の玄関口、ナイロビのジョモ・ケニャッタ国際空港(ジョモ・ケニャッタとは同国の初代大統領)で飛行機をおり、入国審査のゲートへと続く通路の両脇には、野生動物の写真のうえに“Karibu Kenya”(「ようこそ、ケニアへ」)と書かれた企業広告が何枚も並んでいる。そうしたなかに、とある国際NGOの広告として、ライオンの親子の写真とともに、“We hunt, We lose”(「(野生動物を)狩猟をすれば、失うことになる」)、“Keep them alive!”(「野生動物を生かしつづけよう!」)という文字が大きく書かれたものがある。この国際NGOは動物福祉にかんして活動しており、野生動物を狩猟する(殺す)ことに強く反対している。

また、ケニアの小中学校では、クリスチャンの多い地域・学校であれば「キリスト教教育(Christian Religious Education、略称:C. R. E.)」、海岸部などのムスリムの多い地域・学校であれば「イスラム教教育(Islamic Religious Education、略称:I. R. E.)」という教科があるのだが、いつぞや調査地で見せてもらったC. R. E.の教科書では、天地創造にかんする確認小テストのなかに「人間が野生動物にたいしてとるべき行為は何ですか?」という問いがあり、選択肢のなかの誤答として「狩猟をすること」というものがあった。教科書によると、「正解」は「野生動物の世話をする/面倒を見る(take care)こと」らしい。


写真1 空港にある国際NGOの看板
ケニアでは現在、法律上、野生動物は国のものであり、その狩猟は法律により禁止されている。他のアフリカ諸国では、スポーツ・ハンティングや生業としての狩猟が認められていることが多いのだが、そうではないケニアにたいしては、狩猟に反対する国際NGOが積極的に援助や働きかけを行っており、実は、上述の国際NGOもそれに該当する。また、野生動物を殺さずに見るだけのサファリ・ツアーが一般的なケニアでは、狩猟に否定的な観光会社も多い。新聞などでも「狩猟(hunting)」という中立的な言葉ではなく、「密猟(poaching)」という違法行為をさす否定的な言葉が使われることのほうが多い気がするのも、ケニアでは「狩猟=密猟=犯罪」というイメージがある程度、できているからだろう。

一方、私はケニアを代表する有名な観光地、アンボセリ国立公園の周辺に暮らす牧畜民マサイを対象に研究をしている。物の本によれば、マサイの男性にとってライオンは「偉大なる捕食者(great predators)」であり、それを狩ることで男としての名声・名誉を獲得できたという。 調査のなかで狩猟の話を地域住民(男性)に聞きはじめると、とても熱心に話を聞かせてくれる。やはり調査ともなると、いろいろな話を人びとに質問してはときに煙たがられるわけだが、狩猟の話となるとマサイの男性はみんな饒舌になるといっても過言ではない。彼らはみな、大人になる過程で「戦士」の地位を一定期間つとめ狩猟を担当するのだが、およそ30代以上の男性に聞けば、誰もが「ライオンを狩ったことはあるさ!」「オレは何匹もライオンを殺したことがあるぞ!」といった感じで熱く語ってくれる。狩猟はグループでやること、足跡やフンなどを手がかりに獲物を追跡すること、野生動物を見つけたら合図の声を出して仲間の「戦士」たちに教えること、武器である槍は投げるものであって狙いがよければ一発でゾウだって仕留められること、槍が外れたときには何とかそれを拾いに行かないといけないのだがこのときがとても危険であることなどを、とても熱心に教えてくれる。

マサイはライオン以外にサイやバッファロー、ゾウなどを狩りの対象としてきたが、やはりイチバンのターゲットはライオンだったという。ライオンに一番槍を入れた人間はそのライオンの鬣(たてがみ)を獲得することができ、ライオン狩りが成功した暁にはそれを祝う宴が開かれたという。一番槍の男性は鬣をかぶって踊りを踊ったが、それは非常に名誉のあることであり、ほかの野生動物ではこうした宴は開かれなかったという。

ある年長者(60代)は、「誰かがライオンを殺したと聞くと、他のやつらは『次はオレが!』となって、張りあうように狩りに出かけたものさ」と語ってくれた。また、狩猟を取りしまる政府機関の職員として働いていたマサイの男性(40代)と話をしたときも、「ライオンは何頭も殺したさ。数えきれないぐらい殺したよ。それで私はライオン狩りの成功を称える特別な名前をいくつももらったのさ」と誇らしげにいわれ、「密猟」を取りしまるべき人物から「密猟」の経験を自慢されるという状況に、いささかとまどったことを覚えている。狩りの目的を聞くと、年長者はみな口をそろえて「危険な野生動物を殺すこと」だという。だから、殺した野生動物の肉を持ち帰って食べることはなかったというし、大切な財産・生活の糧であるウシが襲われたときには即座に狩猟隊が結成され、報復の狩りが開始されたという。


写真2 調査地でよく見かける野生動物であるシマウマ
これほどにマサイの男にとって重要な意味を持っていた狩猟だが、私の調査地では20年ほど前から、政府の取締りが厳しくなったことと、学校教育が普及し「戦士」も学校に通うようになったことで衰退してきた。ライオンも国立公園から調査地まで来ることはないらしく、それによる家畜被害が報復としての狩猟(「密猟」)を引き起こしたという話もほとんど聞かない。そして、20代後半の男性ともなると、狩猟経験が1度でもあるかないかという感じであり、なかには「狩猟は恐いから嫌だ」という人もいる。そんな声を聞くと、地域住民に狩猟は伝統的なものなのだからこれからも続けろと無責任にいうつもりはないものの、そうはいっても、マサイ社会にあって間違いなく1つの重要な文化であったライオン狩りがなくなってしまうことにたいして抵抗感を抱いてしまう。

2009年夏の調査のさいには、ある日、ホーム・ステイしている家の長男ウィルフレッド(13歳)が、どこで拾ってきたのかちょっと長めの木の棒を持って家の周りで遊んでいた。はじめは何か歌を歌いながら、棒を杖に見たてて踊りを踊ったりしていたのだが、私が近づいていって話をしはじめると、「マサイはこうやって槍を投げて狩猟をするんだよ!」といいながら槍の持ち方を教えてくれはじめた。私が「狩りに行ったことはあるの?」と聞くと「ないよ」と答える彼だが、「マサイは槍を遠くまで投げて狩りをするんだよ。見ててね」といって、その棒を勢いよく投げてしまった。彼は棒を拾いに行くこともせず、結局、それで棒遊びは終わりとなってしまったが、普段は布のボールでサッカーばかりしている彼のなかにも、たしかにマサイの男としての血が流れているのだなと思ったことを今でも良く覚えている。


写真3 家の周りで飼っている自分のヤギに餌をやるウィルフレッド
そして、こうして「アフリカ便り」を「狩る」というテーマで書きながら思うのは、これからも自分がアンボセリで調査を続けていくとして、果たして、マサイの伝統的な狩猟を実際に見る機会はあるのだろうかということである。最近、ケニアでは野生動物関連の法制度の見なおしが進められているが、地域住民による狩猟については話題にもなっておらず、それが再開される可能性はゼロに近い。一方で、ウィルフレッドにしても、小学校から中学校へとあがっていくなかで一生懸命に勉強をしており、とても「密猟」に手を出すとは考えにくい。

私は「人間と野生動物の共存」ということに興味があって研究をしている。マサイはこのアンボセリという土地のうえで、歴史的にさまざまなかかわりを持ちながら野生動物と共存してきた。だが、どうやら私は、そのマサイと野生動物にとって最も原初的と思われるかかわりであり、かつ、全てのマサイの男を燃えあがらせるほどの大きな意味を持っていた狩猟の実物を見たことがないままに、「マサイと野生動物の共存」を考えていくしかないのかもしれない(「密猟」が盛んな場所に調査地を変えれば見られるのかもしれないが……)。そう考えると、研究者のエゴなのかもしれないが、どうしても一抹の寂しさを感じずにはいられない。