メダルに向かって槍を投げろ!(ケニア)《e-remet/槍/マー語》

目黒 紀夫

わたしがフィールドで出会うマサイの男性がよく手にしているものといえば、杖である。槍を普段もち歩いているマサイなど、これまで見たこともない。しかし、もともと槍はマサイの男性——とくに「戦士」と呼ばれる若者——にとって、なくてはならない狩猟道具だった。マサイの若者は、槍を投げて突き刺すことで獲物を狩ってきた。それが今、槍投げはオリンピック種目として、取り組まれるようになっている。

マサイの杖には、40〜50センチメートルほどの短さで先がふくらんでいる棍棒のようなかたちのものと、1メートル以上の細くて長い棒状のものがある。権威や尊敬を表すとされる短い杖をもてるのは長老だけであり、若者がもち歩いている姿は見たことがない。いっぽう、長い杖は長老が歩くときの支えとして使うこともあうけれど、若者はそれで家畜をバシバシと叩いたり、声をあげながら振り上げたりすることで、放牧しているウシの行動をコントロールしている。あるいは、道端で立ち話をするさいには、長い杖をつっかえ棒のようにして、それに寄りかかることで楽な姿勢をつくりだす。短い杖が長老のトレード・マークだとしたら、細長い杖は家畜とともにサバンナに暮らすマサイの男性全般のトレード・マークのようだ。

戦士としてのトレーニングに集まった青年たち。杖をもっている者はいても槍をもっている者は一人としていない

それでは槍はどうかというと、地元の市場に行けば今でも槍は杖とならんで売られている。しかし、それを物色しているマサイを見かけることはまれだし、先にも書いたように、戦士の若者がそれを手にしている姿にお目にかかる機会もまずない。むしろ、槍は外国人観光客向けの土産屋や土産物売り場でよく売られていて、わたしもよく「マサイの槍を買って帰らないか?」と声をかけられる。そんなわけで、わたしには槍がマサイの使う武器、野生動物の命を奪う凶器というよりも、外国人が眺めて異国情緒を楽しむ飾り物に見えてしかたがない。

ところで、数年前、家畜を放牧していた一人の青年がバッファローに襲われて死亡した。すると、何百人という青年が野生動物を槍で襲い、バッファローだけでなく数頭のアフリカゾウを殺した。この事件の背景には、野生動物をめぐって歴史的に積もり積もってきた、住民の政府にたいする恨みや怒り、憤りがあった。とはいえ、このときわたしが何よりも驚いたのは、何百人ものマサイが狩猟をおおっぴらにおこなったことと同時に、その多くが槍を持参していたことだった。

青年が殺されたことへの抗議集会に参加したマサイの戦士。各自が槍を持参している

割礼を終えて戦士となったマサイの男性にとって、ライオンを狩ることこそが自らの男らしさを証明し、尊敬と吊誉を勝ち得る行為だった。そして、そのためには槍投げの技術が必要不可欠だった。以前であれば、戦士は鳥の羽などで自分の槍をカッコよく飾ったとのことで、槍が戦士を象徴する重要なアイテムだったことは明らかだ。しかし、政府によって狩猟が禁止され、厳しい取り締まりが行われている現在、狩猟が表立っておこなわれることはなくなった。隠れて野生動物が狩られるときも、槍ではなくワイヤーや毒を使った罠が多くもちいられる。

数年前の事件は、今も多くのマサイの男性が槍をもっていることを明らかにした。しかし、現代の戦士がかつての戦士のように槍を日常的に使っているわけではないことは明らかだ。そんななか、わたしのフィールドでは一部の長老と動物保護NGOが中心になって、マサイ・オリンピックなるものが2012年に開催された。種目は、200メートル走、800メートル走、高跳び、そして、杖投げと槍投げだ。オリンピックの目的は、ライオン狩猟にかわる吊誉獲得の競争の場をつくることで、動物保護(野生動物の数を減らす狩猟の禁止)をすすめることである。各種目の優勝者には副賞のウシとともに金メダルがあたえられる。

国際オリンピック連盟とはどうやら無関係のようだが、当日はとても盛り上がったらしい。そしてじつは、第2回マサイ・オリンピックが今月半ばに開催される予定だ。すでに地域代表を選抜する競技会が開催され、地元の長老による若者のトレーニングもおこなわれたという。どうやら、みんなかなり真剣だ。

実際に戦士のころに使った槍で投げるかまえを再現してくれた男性

昔の狩猟と今の槍投げとでは、どこまで同じでどこからちがうのだろう? 正直なところ、マサイ・オリンピックが狩猟文化にとってかわろうとしていることについて、わたし自身は複雑な気持ちである。それは動物保護に熱心な白人に都合のよいイベントのようにも思えるからだ。ただ、そうした考えもまた、外部者の勝手な思い込みかもしれない。なにより、当の戦士たちからすれば、オリンピックは近年まれに見る血沸き肉躍る出来事なのかもしれない。今回、わたしもオリンピック会場に駆けつけたいと思う。あれこれ考えるまえに、まず、実際の様子を見てきたいと思う。かつて、槍投げの吊手(=ライオン狩猟の達人)は地域の誰もが一目を置く人物だった。はたして、現代の槍投げの吊手(=金メダリスト)にはどんな人がなり、その人は地域でどのようにあつかわれるのだろう。