『崩れゆく絆』チアヌ・アチェベ=著/粟飯原文子=訳

紹介:目黒紀夫

1930年にイギリスの植民地であったナイジェリアに生まれ、のちに「アフリカ文学の父」とまで呼ばれるようになったチアヌ・アチェベ。そんな彼の代表作とされるのが、この『崩れゆく絆』です。アフリカの多くの国で独立の機運が高まっていた1958年に発表されるとすぐに世界的な注目を集め、現在までに50以上の言語に訳され、全世界で1000万部以上が売れたといわれます。その新訳が、最近に日本で出たのです。

この本のストーリーを端的にいうならば、アフリカの伝統的な地域社会(ナイジェリアのイボ社会)が、白人による植民地支配を受けるなかで崩壊していく過程となるでしょう。こう書くと、何か古臭くて型通りの、悪い意味で「古典的」な小説を想像する人もいるかもしれません。しかし、そんなことはありません。

白人が現れる以前のイボ社会の暮らしを描いた前半では、いろいろな儀式や慣習が書かれています。しかし、それらはすべて、そこに暮らす人たちの生き生きとしたやりとりとともに描かれています。なので、「伝統」を生きるアフリカ人(イボ人)といっても、日本で私たちの身の回りにもいそうな「普通」の人のように思えてきます。口数は少ない代わりに男らしさに溢れ、一代で名声と富を築いた主人公は、いわゆる日本の「頑固おやじ」(の若かりし頃)のようでもあります。ストーリーの基礎となるこの部分がなにより小説として面白いから、その後の劇的な展開もより印象的なものとなり、『崩れゆく絆』は「アフリカ文学の父」の代表作となっているのだと思います。

そうしてアフリカの伝統的な社会・生活に慣れてきた中盤過ぎに、いよいよ白人が現れます。そこから先は、地域社会が加速度的に「崩れゆく」過程が一気呵成に書かれます。ただ、そこで描かれているのは、白人の暴力によって地域社会が支配される過程というよりも、キリスト教が広まるなかでアフリカ人のあいだでどのような葛藤や対立が生じ、いかに人びとを結びつけていた絆が崩れてゆくかということです。その意味では、この本で描かれているような「崩れゆく絆」は、じつは今現在のアフリカの各地で、現在進行形で起きているできごとでもあるのです。

前半部分の文章が全体的にのどかな印象を与えるものであったとするならば、白人が登場してから、しだいに文章は切迫感に溢れたものになっていきます。その変化が感じられるからこそ、「崩れゆく絆」の予感とともにページをめくる手が止められなくなります。

この『崩れゆく絆』が小説としていかに優れているのかについては、訳者による「解説」で詳しく説明されています。そのなかには「なるほど」と思う指摘もたくさんあります。ただ、そうしたことを予備知識として知っていなくても、この本はまちがいなく楽しめます。なので、アチェベが誰か、この作品がいつ書かれたのかといったことはいったん忘れて、「アフリカを舞台にした面白い小説があるらしいからちょっと読んでみよう」といった軽い気持ちで最初の一頁をめくってもらえたらばと思います。

書誌情報

出版社:光文社
発行:2013年12月
四六判上製/456頁
ISBN-10: 4334752829
ISBN-13: 978-4334752828