進むべき道を見る目(ガーナ)

桐越 仁美

私は今、学生の就職支援をおこなう民間企業で勤務している。日々、就職活動に励む学生たちと話をして、就職活動の状況について話を聞いたうえで自社のサービスを紹介する仕事をしている。そういう私自身も、数ヶ月前まで就職活動をしていた新社会人だ。

日本では、就職支援をおこなっている会社のイベントやサービスを通じて企業にアクセスし、会社説明会などで情報を得て、志望する企業にエントリーシートを送る。書類選考を通過した場合は数回にわたる面接を経て、すべて通過したら内定がもらえる。もちろん業界や職種によっては違う経路で職を得ることもあるのだが、前述のようなやり方が、日本では一般的な就職活動として認識されているだろう。日本の多くの若者が、就職活動を通じて自分の未来を模索している。

それでは、私の調査地である西アフリカの若者は、どのように自分の未来を模索していくのであろうか。

西アフリカのガーナは、カカオの生産地として知られている。カカオはガーナ南部の森林地帯で生産され、ガーナの港から世界各地に輸出されていく。ガーナにおけるカカオ産業は国の経済に大きな影響力をもつ重要な産業だ。このカカオ産業には多くの内陸乾燥地の人びとが参入しており、カカオ産業に参画するため、ニジェールやブルキナファソといったガーナ外の国からも人びとが集まってくる。こういった人びとのなかには、多くの若者が混ざっている。

ガーナ南部は奴隷や金の交易、またはカカオ生産を通じてイギリスなどの西洋諸国と結びつき、1957年にイギリスからの独立を果たしたあとも西欧諸国と深い関わりをもっている。近年のガーナでは高等教育課程への進学を望む若者が増加する傾向にあるけれど、外国との結びつきが強いガーナ南部は北部に比べて学校数が多く、技術専門学校に着目すると、2000年の時点でガーナ国内に10校あったうちの7校が南部地域に集中していると報告されている。学校が南部に集中している状況から、ガーナ北部の若者は、高等教育を受けるため、積極的にガーナ南部へと移動する。多くの若者は、長期休暇にカカオ生産に従事することで学費を稼ぎ、学校へ通うという生活をしている。こういった若者が目指す道は、学校教員や省庁の職員、医者、看護師といった資格が必要な職業や、都市部にある企業の社員などである。

カカオ生産に参入している若者の全員が高等教育を受けることを目的にしているわけではない。なかにはカカオ生産に参入することで新たなビジネスの機会を探している若者も多く、ガーナ国外からもやってくる。カカオ生産に参入することでガーナ南部の人びとや南部で働く移民とのあいだに人脈をつくり、情報収集をおこなう。ガーナ南部は港から輸入される海外商品の流通が始まる場所であり、南部との関わりをもつことはビジネスの機会を得ることにもつながっていく。商業の世界で生きることを目指す若者たちは、南部で人脈を築きあげ、作物や家電製品、中古バイク、衣料品、飲料水などの商品を内陸部に輸送して販売するビジネスを始めたり、逆に乾燥地で栽培される内陸部の穀物やタマネギなどを森林地帯に運んで売るといったビジネスを始めたりする。

ガーナ南部に移住して新しいビジネスを探す若者たち

 

このように、それぞれのやり方で西アフリカの若者たちは自分の未来を模索していく。若者たちは些細なきっかけも見逃さぬよう、いつもアンテナを張って情報収集や勉学に励んでいる。そして、「これだ!」と思う話が舞い込んだら、すぐに飛びつけるよう準備を進めている。私たちにもあることだが、事がうまく運ぶときは「これは引き受けた方がいい話だ」とかいう勘がはたらいたりして、それまでの停滞が嘘のようにポンポンと話が進んだりする。このように、次につながる話や物事と出会った人に対して、ニジェールやガーナではハウサ語で”Iduka ya bude(あなたの目が開いた)”と声をかける。日本語では「道が開けた」という表現が近いように思う。このような表現はハウサ語に限られたものではなくて、ガーナ北部のクサシの人びとの言葉でも”Huni hu niya”と言って、やはり「あなたの目が開いた」といった意味になる。説明を加えると「(進むべき道を見るための)目が開けた」ということなのだと思う。

私がこの「目が開いた」という言葉について教えてもらったのは、私自身が就職活動を終え、仕事をすることに期待と不安を抱いている時期だった。私は半年前に書き終えた博士論文を持ってニジェールとガーナに渡航した。それぞれの調査協力者たちに完成した博士論文を見せてお礼を言うためだった。晴れて大学院で学位を取得したこと、4月からは新しい仕事を始めることを報告した。どちらの調査地でも友人たちは祝福してくれて、「ヒトミはとても頑張った!」と激励の言葉をかけてくれた。そのなかで「あなたの目が開いたね」と言われたのだ。この言葉は、就職先を得たという点だけを指しているのではなく、博士論文を書きあげて次のステップへの準備を整えたこと、そのうえでいい話に巡り合い、職を得たことを指しているのだと教えられた。努力をして、その結果いいチャンスを見つけたり、人から話を持ちかけられたりすることが「目が開いた」にあたるのだと。

日本の若者はインターネットで情報を収集したり、先輩から話を聞いたりして、進むべき道を探している。手法が違うだけで、日本の若者も西アフリカの若者と同じようにアンテナを張りめぐらせて「目が開いた」と感じる瞬間を探し求めているのだと思う。最近では西アフリカの若者もケータイでインターネットにアクセスしたり、WhatsAppやFacebookなどのSNSも使ったりして情報収集の環境を作りあげている。その点では、ほとんど日本と変わらない。私が渡航すると、西アフリカの人びとは「電話番号を教えてくれたらWhatsAppで連絡する」とか「Facebookのアカウント名を教えてくれ」とか言ってくる。これはもちろん友人として連絡先を知りたいという意味もあるのだが、なにかいい話が舞い込むように、人脈を広げておきたいという側面も大きい。西アフリカの若者は、情報を集めることに対して、とても積極的だ。

FacebookのMessengerに夢中なニジェールの友人

 

しかし、自己利益のためだけに情報網を築こうとしているわけではない。彼らは自分の持っている人脈や技能をフル活用して私の調査を手伝ってくれる。これは私が日本人だからというわけではなく、一般的に親しい友人には惜しみなく自分の人脈や技能を使う。ガーナの友人に対して「いつも良くしてくれて、本当にありがとう。おかげで博士論文を書きあげることができた。でもどうやってお礼をすればいいんだろう?」と言ったとき、友人は「なにもしなくていいんだよ。だってヒトミに親切にして、それでヒトミがなにかを成し遂げれば、いずれきっと私たち自身に目が開くときが訪れるだろうから」と答えてくれた。先ほど自己利益のためだけではないと書いたが、人に協力することも彼らの「目が開く」ためのきっかけになりえると考えられているのだ。

ニジェールやガーナで聞いたこれらの話は、いまの私の仕事に活気を与えてくれる。私の仕事は、ビジネスの一環として学生に電話をかけてサービスを紹介しているという見方もできるけれど、次のステップにつながりうる情報を提供することで、学生たちが「進むべき道が見えた」と感じるきっかけをつくれているという見方もできるかもしれない。学生たちがそれでいい職にめぐり合えるなら、とても意味のあることのように感じる。私はまだ新人だし、できることも少ないけれど、そう考えたら「どんなに小さな仕事でも頑張ろう」と、やる気がみなぎってくる。