モタネのドレスと「手の仕事」

牛久 晴香

4月から札幌で新しい生活をはじめた。北海道の初夏は本州より2ヶ月ほど遅れてやってくるようだ。先日遅い衣替えをしているとき、9年前にガーナの両親からもらった「モタネ」のドレスが出てきた。カラフルなアフリカンプリントとは趣の違う、白地に黒と金の横縞が入った素敵なドレスに心躍った記憶がよみがえった。

モタネ(motane)は、北部ガーナで織られる厚手の綿織物である。写真1のような手織機を使い、約10cm幅の帯を長く長く織っていく。写真の帯は大分明るい色をしているが、伝統的には黒色、白色、青色の三色がよく使われてきた。このモタネを裁断・縫合して「フグ(fugu)」と総称されるさまざまな形状のスモックが作られる。フグは北部ガーナの伝統衣装で、冠婚葬祭や儀礼、村の会議、遠出をするときなど、文化的・社会的行事の際によく着用される(写真2)。1957年3月のガーナ共和国独立式典でクワメ・ンクルマ大統領が着用したことでも有名だ。南部出身のンクルマが北部の伝統衣装に身を包み、独立を宣言する―この行為には、みなで団結して新しい国を創りあげていこう、という強いメッセージが込められていたことだろう。


写真1:モタネの織機。織り終わった部分はロール上に巻かれている。


写真2:男性が上半身に着用しているのがフグ。写真は年長者の葬儀の際に行われる「戦の踊り(diia)」を撮影したもの。

2018年の夏、わたしはフィールドワークを続けてきた北部ガーナ・ボルガタンガ地方の村に2年ぶりに戻ることができた。乗り合いタクシーの停車場から家までの道を歩くと、目に見えてモタネを織る女性が増えている。前までは1人でモタネを織っていた女性に一気に9人もの若い「弟子」ができ、彼女の作業場の前には青色の織機がずらりと並んでいた。何軒もの新しいモタネ屋も目に留まった。変化に驚きながら家に着き、家族との団欒を楽しんでいたが、我が家のムードメーカーである四男(16歳)の姿が見えない。理由を尋ねると、小学校を辞めてフグの職人に弟子入りしたという。四男は落第を繰り返していたが、両親はずっと「今の時代、学校を卒業しなければ良い仕事に就けない」と教育の重要性を語り、小学校は卒業するよう諭しつづけていた。どうして四男が学校を辞めてフグ職人になることを許したのか、と母に尋ねると、「頭がよくないとか、お金がないとかの理由で、学校を辞めなくてはならない子どもはいるものよ。でも『手の仕事(nu’o tuuma)』を身につければどこに行っても食べていくことができるじゃない。四男はいい選択をしたわ。」と答えた。

グルニ語(注:ボルガタンガで話される言葉)の「手の仕事」は日本語の「手仕事」とほぼ同義で、バスケットづくりや土器づくり、布織りや服の仕立てなどの仕事をさす。ボルガタンガの「手の仕事」の代表格は輸出用のバスケットづくりであるが(※)、この数年、とくに若者がモタネ織りとフグづくりに注目しているようだ。その理由のひとつには、国内外の需要の増加がある。あるフグ職人は、「金曜日に南部の人々がフグを着用することが増えたため、この数年仕事が忙しくなった」と語った。ガーナでは2004年からNational Friday Wearという試みが施行され、毎週金曜日にアフリカンプリントやガーナの伝統衣装を着用することが推奨されている。北部の伝統衣装が「ガーナの伝統衣装」として南部の人にも求められるようになったというわけだ。欧米やカリブ諸国に住むガーナ出自の消費者に向けた輸出も増えているという。織り手・つくり手の過剰な増加は心配されるが、「学校に行けば収入のよい仕事に就ける」という神話が崩れた現代において、村の若者は市場の変化を好機とみなし、自身の「手」で未来を切り拓こうとしている。むろん、彼らは実に身軽に仕事を変えていくので、これからもずっと「手の仕事」を続けていくとは限らないのだが……

「モタネの衣服は時を重ねるごとに美しさを増す」。父母がわたしにドレスをくれるときに添えてくれた言葉だ。エッセイを書くにあたり調べものをしていたところ、この言い回しはモタネの美について語ると同時に、持ち主も経験を重ねるほどに人として円熟していく、という意味で使われることを知った(Akpabli, K. 2014. Harmattan: A Cultural Profile of Northern Ghana. TREC: Accra North. p.65.)。9年越しに父母の言葉の意味に気づき、胸が熱くなった。今年は四男が手がけたフグを一着購入してみよう。なにかと難しい時代に、彼が自ら踏み出した新たな一歩を祝うために。そのフグと、家族とともに、これからも経験を重ねていくために。

※ボルガタンガのバスケットづくりについてはこちらのエッセイを参考にしてください。