「アフリカの伝統儀礼」というと、化粧や装飾をほどこし、腰みのをつけ、たいまつを振りまわして踊る、というようなものを想像される方も多いのではないだろうか。しかしながら、異文化に対してこのような紋切型のイメージを抱き、一方的なまなざしを投げかけることは、自己とは異なる他者を認め、対話を通じて異文化を理解する道を閉ざすことにほかならない——のであるが、私が長く調査を続けているガボンの村の儀礼Bwitiは、まさしくそのようなやり方でおこなわれている。
ガボンは、アフリカ中部の大西洋岸に位置する赤道直下の国で、国土の80%以上が熱帯雨林におおわれている。人や車が行き交い、モノと情報があふれる現代的な都市がある一方で、森林地帯では、自然資源に強く依存し、森と強く結びついた生活が営まれている。私の調査地は、このような深い森の中にあり、そこにはピグミーと総称される狩猟採集民の1グループであるバボンゴが暮らしている。
儀礼Bwitiは、ガボン中部のバントゥー系と呼ばれる民族が起源であるが、現在ではガボン全土のさまざまな民族に広く浸透している。バボンゴも、近隣のバントゥー系民族との長い共生関係を通じてBwitiを取り入れ、深く信仰するようになっている。民族によって儀礼のやり方には違いがあるとともに、ブウィティ自体もいくつかの枝に分かれている。儀礼結社の成員になるためにおこなわれるいわゆる成人儀礼、人が亡くなったときや過去に亡くなった人を弔うための葬儀、病気の治療や問題解決のための治療儀礼(拙エッセイ「伝統医療を信じる人たち」参照)などがある。成人儀礼や葬儀は、地域をあげておこなう重要な社会的行事である。儀礼の開催が決まると、主催者は一家総出で何日も前から準備にいそしむ。参加者に提供するために、狩猟によってたくさんの肉を獲ってきて燻製にし、ハチミツを採集してそれを材料に大量の酒をつくる。また、儀礼で用いる小道具や楽器、装飾品などを用意し、儀礼の舞台となる集会所をきれいに整えてヤシの葉などで飾る。
儀礼の当日には、周辺の村々から多数の人びとが集まり、夕方ごろには集会所のまわりに参加者があふれかえる。人びとは、煌々としたたき火の明かりと淡く優しい月の光に照らされながら、夜を徹して力強く歌い踊る。儀礼の中心となる人物は、冒頭で述べたように、伝統的な衣装を身にまとって全身に装飾をほどこした姿で(写真1)、歌を先導するとともに、樹脂と草本で作られたたいまつを振りかざして踊る。成人儀礼では、儀礼結社の一員となるためのさまざまな試練が課され、大人たちに見守られた新加入者たちが、苦痛に耐えて試練を乗り越える。葬儀では、仮面をつけて全身を植物の葉で覆われた「精霊」が登場し、儀礼の参加者とのあいだで、ときには滑稽な、ときには緊迫感のあるやりとりを繰り広げる。
日常生活において儀礼が重要な位置を占めている調査地において、私は何度となくこのような儀礼の場面に立ち会い、自分自身も成人儀礼や伝統医になるための儀礼を受けてきた(写真2)。たくさんの儀礼に参加するなかで私は、研究対象というよりは個人的な体験として、儀礼Bwitiに強く惹かれるようになっていった。儀礼を前にしたえもいわれぬ高揚感も、夜中にクライマックスを迎えたときの降り注ぐような太鼓や鳴り物の音と、歌と踊りの圧倒的な迫力も、参加者全員で分配する酒やごちそうの味も、そして、儀礼が終わった朝の心地良い疲労感も、そのすべてが強く印象に残っている。遠く離れた国のそのまた奥地の森の村にいること自体が自分にとって日常からかけ離れた経験であるのにくわえ、儀礼という非日常の空間に身をおいていると、夢と現実の区別があいまいな陶酔的な気分になり、そこで人びとと一緒になって夜どおし歌い踊ることで湧く一体感に心を揺さぶられた。
だから私は、いろいろな機会にいろいろな人に対して、自分が深く感動したこの儀礼のことを紹介したいと思っている。しかしながら、そのときにつきまとうのは、冒頭に挙げたような型どおりの「アフリカの伝統儀礼」イメージを再生産することに対するためらいである。衣装や装飾にしても、舞台設定にしても、歌や踊りも演出にしても、あまりに典型的で、それらしい儀礼であるように思える。実際に、「やっぱりアフリカってこういうことをやっているんですね」などという感想を聞いて、一方的なまなざしの片棒を担いだような気がして苦い思いをしたこともある。
そこでいまのところ私が心がけていることは、儀礼にまつわる文化・社会的背景をきちんと説明することや、われわれとの接点やつながりを同時に伝えることである。上に述べたように、同じく国のなかには、私たちとほとんど同様なモノと情報に囲まれた都市があり、辺境の村であっても都市やそこに暮らす人びとと密接に結びついている。調査地のバボンゴの人びとも、都市に出稼ぎに行くこともあれば、携帯電話で都市の親戚と連絡を取り合うこともある。儀礼Bwitiは、森の奥深くでひっそりと続けられているというわけでは決してなく、都市においてもおこなわれるし、独立記念日などの国家行事や文化イベントなどでも演じられる。Bwitiをなりわいとするグループも存在するし、テレビ番組、DVD、ウェブサイト、書籍、絵ハガキなどでもさまざまに紹介されている。驚くべきことに、調査地のバボンゴの人びとは、2012年にガボンの首都で開催されたサッカーのアフリカネイションズカップの表彰式に招かれ、ガボンの伝統文化の象徴であるBwitiを演じながらトロフィーを運ぶという役割を果たした。このようにBwitiは、儀礼らしい儀礼であると同時に、現代的な文脈において文化資源として価値づけられ、利用・消費もされているのである。
アフリカ熱帯雨林の狩猟採集民という私の研究対象は、そのエキゾチックさにおいて、わかりやすい人びとであるかもしれないし、そうした彼らがおこなう儀礼は、典型的な異文化イメージを喚起しがちであるようにも思う。だから私は、彼らを紹介する際には、安易で一方的な理解を助長することがないように、ていねいに説明を加えながら慎重に扱う必要があると感じている。エキゾチックな人びとを外から鑑賞し、消費することではなく、そうした異なる他者の存在を認め、対話を通じて異文化を理解するという態度を目指したいからである。一方で私は、もしもこのような態度が多くの人にとって当たり前になれば、ということを夢想する。そのときには、いちいち注釈をつけたり、背景をくどくど説明したりする必要もなく、ためらわず素直に儀礼の魅力とそこで味わった感動を語ることができるのではないかと考えるのである。