立派な外国人 (エチオピア)

森下 敬子

エチオピアの首都アジスアベバで一度でもバスに乗ると、もう二度と御免だと思う。東京の最悪なラッシュ時の地下鉄みたいだ。いくら運賃が安くても(始点から終点まで乗っても10円以下)、酸欠になりそうなほど混雑していて、頭がクラクラする。

それでもまた乗ってしまったのは、ちょうど始点の停留所にいたので確実に座れると思ったからだ。バスのドアが開くなり人を押しのけてダッシュして乗り込み、ドアのすぐ後ろの席を確保した。

初めて座れた、これでのんびり街まで行けるぞ、と思った。始点から乗った乗客は少なくて、子供も大人もほとんどの人が座席に座っている。車窓の景色を楽しみながら、始点の停留所から乗ればバスもそんなに悪いものじゃないと考えていた。

アジスアベバを走るバス。オレンジ色にライオンのマークが目印だ。

 次のバス停に停まった時も、何人乗ってくるかな、と窓の外を見ながら乗客の数を数えたりしていた。20人くらいの新たな乗客がいたけど、これくらいならたいした混雑じゃないし、このままどこにも停まらずに街まで着かないかなぁと思いながら、とにかく座れたことが嬉しくて、窓から見える羊の群れをのん気に数えたりしていた。

動き出したバスの中で、ふと車内に目を向けると、通路を挟んだ反対側に座っているおばあさんが私をじっと見ている。おばあさんの後ろの座席の人も、立っている人も、私をちらっと見ては目を逸らす。バスに乗っている外国人が珍しいんだろうなぁと思いつつも、何だかいつもとは違う空気に落ち着かない気持ちになり、車内を見渡して「しまった」と思った。「座ってるのは、老人だけじゃん!」。

私と同じ停留所からバスに乗ったはずの少年も大人も、探して見るといつの間にか席を譲って立っている。私も慌てて誰かに席を譲ろうと思ったけれど、席を譲るべき高齢者も妊婦もいない。無言でちらっと私を見る人の視線がつらくて、快適だと思っていたバスの堅い座席が針のむしろに変わり、落ち着かなくてずっとそわそわしていた。とにかく早く次のバス停に停まってほしいとそれだけを考えていた。

長い時間がたってようやく次のバス停に停車したとき、私は飛び上がって最初に乗り込んできたおばあさんに席を譲った。「ありがとう」と言われてほっとしている私に、周りの人が「偉いぞ」「立派な外国人だ」と声をかけてくれる。「いや、(席を譲った)彼女はエチオピア人だよ」と言う人もいて、いたたまれない気持ちで立っている私の周りで、笑い声と拍手が起こった。

エチオピアで私がいいなと思うことの一つは、バスや乗り合いタクシーの中で、老人や妊婦、障害者、赤ちゃん連れのお母さんに対して、誰もが席を譲り、手を貸すところだ。人の良さそうな特別な人に限ったことではなく、一見「不良」っぽい10代20代の若者でも、だ。目の見えない男性をバス停まで連れてきて「この人を○○で降ろして下さい。知り合いが待ってますから」と言って、運転手や見知らぬ乗客に託す人がいる。近くの人が手を貸して席に座らせ、彼が降りるべき場所に着くと、また近くの人が手を貸してバスから降ろしてあげる。

エチオピア人のすべてが心の広いすばらしい人間だというのではない。私自身と同じように周りの空気に耐えかねて席を譲る人もいると思う。でも、そういう空気を作り出せるような社会規範が現在も生きていて、エチオピア人はそれを誇りにしている。

 近所に住んでいたコワイおばあちゃん。「私は年寄りじゃないよ」が口癖だが、
もしも彼女と同じバスに乗り合わせて、席を譲らなかったりしたら、きっとお説教をされるだろう。

多くの日本人はエチオピアに対して「貧しい」というイメージを持っている。一方で、エチオピア人は日本のことを「豊かで、経済成長を遂げたテクノロジーの国」だと言う。でも実際エチオピア人が日本にやってきて、満員のバスや地下鉄の車内で優先席に座る若者を見ても、豊かな国だと思うだろうか。日本は戦後の経済成長から現在に至る中で、大切に守るべき社会規範を失ってきたのかもしれない。現在「豊かな」日本が、「貧しい」エチオピアから学べることは、きっとたくさんあると思うのだ。

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日本とアフリカに暮らす人びとが、それぞれの生き方や社会のあり方を見直すきっかけをつくるNPO法人「アフリック・アフリカ」です。