アフリカで発見した「技(ワザ)」:麦茶をつくる(エチオピア・折々のエッセイ)

西崎 伸子

海外で暮らす、それもアフリカで暮らすとなると「不便」がいっぱい、と想像される方は多いのではないかと思う。私は青年海外協力隊としてアフリカのエチオピアで2年暮らしていたが、先輩の中に「ミネラルウォーター」をトランクにつめて持ってきた人がいた、という笑い話を聞かされた。物が手に入りにくかった社会主義政権時代の話ではなく、1990年代後半の話である。 その頃、少なくとも首都には最低限の日常生活を送るのに不便は感じないほどに物があった。ましてや水なんて、水道を捻ればちゃんと出た(生水を飲める強い体になるまで1年くらいかかったけど・・・)。たしかに、コンビニがない、携帯がない、一度家を出るとトイレを探すのに一苦労するなど日本を基準に便利さを図ればきりがない。

しかし、アフリカ暮らしも2年になると、日常生活の些細な「不便さ」が新たな「創造」を導くことを知った。その多くは、協力隊の諸先輩方から教えてもらったものであり、そのひとつが「麦茶をつくる」ことであった。ローカルマーケットで大量の大麦や裸小麦を買い、1週間分まとめて家で炒る。電気コンロで、停電のときには炭で炒った。 炒り具合は、こげ茶色になり適度に煙が出るくらいがいい。焦げすぎると、煮出したときに焦げた味がする。お茶といえば紅茶のアフリカで飲む麦茶は格別な味がし、日本を思い出さしてくれた。

コーヒーの原産地として知られるエチオピアでは、コーヒーを常飲する。
生豆を炒り、煮出して飲む。コーヒーをおいしく入れることは、女として必要不可欠な能力である。
ちなみに一部の人は麦茶(砂糖入り)も飲む。

しかし、実際日本で暮らしていると、麦茶が麦を炒ったものであることを意識することはほとんどない。購入するときにはすでに炒ってあり、丁寧に一回ずつのパックに包まれている。しかも煮出さなくても、水出しで香りも色もでる。水出し法も味もどこか胡散臭いと思った私は、アフリカのように自分で麦茶をつくろうと思い立ち、大麦を探した。少なくとも自宅近くのスーパーやデパートには見当たらず、ネット通販で探しても見つけることはできなかった。田舎に住む母に、近くの農家に大麦がないかを聞いてもらったが、「最近大麦を作る人が少なくなった」そうである。結局いまだに大麦は手に入らず、有機栽培麦茶の煮出し専用を使っている。

麦茶だけではない。「不便」なアフリカだからこそ、日本の生活では見えなくなった様々な「もの」や「生活術」を編み出す力が湧いてくる。アフリカ暮らしを思い出しながら、アフリカで学んだ小さな「技(ワザ)」、裏返せば日本で忘れつつある生活をこのコラムの中で少しずつ紹介していきたい。

注)このエッセイは、「アフリカ便り」の前身である「アフリカ情報」のコーナーに、2003年〜2004年に掲載されたものを再録しました。