イモとインジェラ(エチオピア)

鈴木郁乃

「かわいそうに、ガブジャなんて食べているのかい!?」ガブジャとはエチオピア南西部に暮らすアリ人の言葉でタロイモを表す。アリの村に赴任していた学校の先生たちと話をしていた時に、「アリ人の家に住んで、何を食べているの?」と聞かれ「ワシやガブジャだよ」と私が答えると、冒頭のような発言が返ってきた。

ワシは、エンセーテというバナナに似た植物の茎からとった澱粉を発酵させた後、土器の上で焼いた食品で、私がアリの村で最も頻繁に口にしていた食べ物である。一方ガブジャは、昼食に食べることが多かった。特に週に一度の市場の日には、サツマイモやガブジャを買って、土器の壷でじっくりと蒸して食べるのがほぼお決まりの昼食であった。ホクホクでほんのりと甘みがあって、蒸したてのガブジャは日本の焼き芋を髣髴とさせる懐かしい味であった。村人のお宅へお邪魔して、この地域の人々が毎日何度も飲むコーヒーの葉を煎じた飲み物を飲み、ガブジャを頂きながら聞き取り調査を行うこともしばしばあった。私にとって、ガブジャはワシと並んでアリの人々と生活した日々を語る上で外せない食べ物のひとつである。

市場で売られるイモ
一方、冒頭の発言をした先生たちも含め、アリの村にやってくる先生たちの殆どは、町出身のアムハラ語を母語とする人々で、食文化もアリ人とは異なる。アムハラ人の主食はテフと呼ばれる穀物を発酵させてクレープ状に焼いたインジェラという食べ物である。テフは比較的高価な穀物なので、安価なトウモロコシやヒエで代用してインジェラを作ることもある。インジェラには豆や野菜、肉や卵で作ったソースをつけて食べる。インジェラはエチオピア料理の代表的なもののひとつで、アムハラ人をはじめ、多くのエチオピア人にとって、日本人にとっての白ご飯がそうであるように、食の基本となる食品である。先生たちの話を聞いていると、「食べ物」とは穀物であり、野菜であり、肉や魚であり、どうやら根菜・イモ類は食べ物とは見なされていないようだった。ジャガイモやニンジンなど、西洋から伝わってきた一部のものを除いては、彼らの言葉によれば「根菜・イモ類は怠け者の食べるもの」とのことだった。穀物に比べると根菜やイモ類を作るうえでは除草や鳥追いなど、手間があまりかからないから、というのが彼らの言い分である。それでは、アムハラ人の食べ物であるインジェラはアリの人々に受け入れられていないかというと、むしろその反対で、アリの人々にもインジェラを好んで食べる人は少なくない。私が居候させてもらっていたお宅でも、折に触れてインジェラを焼いていた。

インジェラを焼く
「食べ物」という些細な題材ではあるが、考えてみると、アリ人とアムハラ人の支配関係の歴史が食べ物の中に垣間見えるような気がする。アリの人々の言葉を借りて言えば、アムハラ人たちは、帝政時代に貴族としてアリの村に住むようになって以来、現在では役人や先生、商人など、アリを支配する側の人間としてアリの村に暮らしている。興味深いのは、アリ人はアムハラ人に対して団結して抵抗することなく、むしろその反対に多くの村人たちがアムハラ語を習得し、インジェラなどのアムハラの食文化も取り入れてきたというところである。一方で、ガブジャを食べてみたり、コーヒーの葉を煎じて飲んでみたり、アリ語を学んだりするアムハラ人はごく少ない。

「ガブジャを食べる=ご飯を食べさせてもらっていない」と理解(誤解?)した先生たちは、「今日はガブジャなんかじゃなくて、食べ物を食べて行きなさい」と、スクランブルエッグをのせたインジェラを私のために作ってくれた。久々のインジェラと、先生たちの給料から考えても高級品の卵をありがたくご馳走になりながら、「食べ物」にはその背景に様々な意味や解釈があるのだと私は再認識した。