2009年9月7日、月曜日。この日は9月の第1月曜日で、アメリカの労働記念日である。この祝日に合わせて、9月5日と6日の2日間、ワシントンD.C.にあるローズベルト高校のスタジアムでは、「第12回エチオ・サロン」というエチオピア人チームによるサッカートーナメントがおこなわれていた。「北米エチオピアン・スポーツ文化連盟(ESCFNA)」が組織するトーナメント試合である。アメリカに居住するエチオピア人によるサッカーチームは、ワシントンD.C.だけでも12チーム、アメリカ全州ではいまのところ27チームあるという。この2日間は残った9チームの対戦試合で、ニューヨークやノースカロライナ州からも各チームが集結した。
アメリカ合衆国には多くのエチオピア移民が居住しており、そのほとんどがワシントンD.C.やニューヨーク、アトランタ、シカゴ、ロサンゼルス、ミネアポリスなどの大都市である。とくにワシントン首都圏に人口が集中しており、推定20万人以上のエチオピア人が住んでいるといわれている。エチオピア移民1世の多くは、1980年代にアメリカ留学を求めて移住してきたエリート階級や、エチオピアの独裁政権により国を追われてきた政治的難民、1世の「呼び寄せ」によってやって来た親族たちであり、彼らの主な出身民族はアムハラ、ティグレ、オロモなどである。エチオピアン・チームのサッカー選手たちも、その移住背景はそれぞれ異なっている。
また、同連盟は、毎年6月の終わりから7月の初めに開催される大規模なエチオピアン・サッカーのイベントも開催している。この時期は、アメリカでは学校が夏休みに入る直前で、アメリカ市民の間でもさまざまなイベントがおこなわれる時期でもある。エチオピア人のサッカー・イベントはシカゴを中心とする大都市で開催され、北米はもちろん、ヨーロッパに住むエチオピア人移民も参加・観戦をしに訪れ、各国のエチオピア人が一つのスタジアムに集結する。ワシントンD.C.に住む、タクシー運転手であるエチオピア人の男性は次のように言う。「僕ももちろん毎年サッカーを観にいくよ。あの盛り上がりはすごい。それに懐かしい友人にも会えるし」と。そして、私がアメリカのエチオピア人移民について勉強していることを知ると、彼は「それなら夏のサッカーを絶対に観にいくべきだ。あそこに行けばいろんな背景をもったエチオピア人に出会えるから」と言った。
このように、エチオピアン・サッカーのイベントは、単に試合を観戦するためにあるのではない。母国エチオピアから渡米した後に離れ離れになってしまった旧友たちと再会する場でもあり、ときには同じ故郷の村の友人に再会することもあるという。また、エチオピア人同士の新たな出会いの場でもあるだろう。最近では「移民多様化プログラム」という抽選形式の移民システムによって渡米するエチオピア人も多い。そのシステムで渡米するエチオピア人のほとんどは、アメリカに友人も知り合いもいない。そのため、彼ら新参者にとっても、このようなイベントは知り合いをつくるチャンスなのである。
エチオピアン・サッカーのイベントを知るには、これまたエチオピア人が集まるレストランに行けばいい。ワシントンD.C.にある多くのエチオピアン・レストランやバーには、さまざまなエチオピア人コミュニティによるイベントのちらしが置かれている。私が「エチオ・サロン」を知ったのも、あるレストランの脇に無造作に積まれていたちらしからだった。そして、それらのほとんどの店では数台のテレビがあり、いつも決まって、アメリカ国内リーグ戦や欧州リーグ戦などのサッカー中継を流している。アメリカ人の間では野球のほうが盛んであるが、エチオピア人の間ではサッカーのほうが圧倒的に盛んである。どの国のチームの対戦であろうと、あるいはどこの国で観戦しようと、エチオピア人たちのサッカーへの熱狂ぶりは変わらない。
さまざまな国のエスニック料理店やナイトクラブがずらりと立ち並ぶ18番ストリートにも、毎晩サッカー中継で盛り上がる古くからのエチオピアン・レストランがある。ここは夜になるとお酒を楽しむお客たちで店が埋まる。アメリカ人のお客や若い旅行者たちもちらほら訪れるが、お客の多くはエチオピア人男性である。彼らは仲間とともに仕事の話や政治の話をしながら一日の終わりをしめくくる。
しかし、テレビのサッカー中継で選手がシュートを決めると、それらの話は一旦中断され、店の中は一気に興奮と落胆の声が沸き起こる。その一団となったサッカーへの熱狂ぶりは、差し迫った政治の話題をもかき消してしまうような、彼らにしか分かち合えない感情を共有しているかのようにもみえる。