アフリカ的節水生活(エチオピア)

西崎 伸子

「この茶色い水を私は飲んでいたのか」と溜池を前にしばし愕然とした。エチオピアに出かける前にさまざまな人から,蛇口をひねれば出てくる透明な水道水でさえも10分以上沸かして飲みなさいと教えられてきた私にとって,ときには藻さえ浮かぶ茶色く濁った水はとても飲めた代物ではないように思えた。しかし,ときすでに遅し。わたしはフィールドワークで居候していたお宅で毎日この茶色い水を沸かしていれられたコーヒーを飲んでいたのだ。

雨水をためた溜池

エチオピアの多くの地域ではいまだに水が十分に手に入らない地域がある。むしろそういった地域の方が多いのかもしれない。地方でフィールドワークをおこなうにあたって,生活水の確保はいつも切実な問題である。とくに乾季には,地方都市でさえなんの予告もなしに水道水の供給が止まる。町の人々は慣れているのか,そのような事態になってもポリタンクを抱えた女性達が井戸の前で辛抱強く順番を待つ。一方,わたしは,蛇口から水が出ないことが分かると顔がこわばり,水の確保に奔走していた。

しかし,月日が経つと,水が無ければ無いなりに生活できるようになった。溜池の茶色い水も「あるだけ,まし」と,十分に沸かしさえすれば,飲めるようになるのにそれほど時間はかかならかった。そして,手に入るときにはなるべく多くの水を確保し,同時に節水の術も学んだ。といっても,飲み水を減らすことはできない。節水するのはシャワーや洗濯,トイレに使う水である。幸い,乾燥した気候はこれらの節水生活を後押ししてくれた。身体は濡らしたタオルで少しふくだけでさっぱりとする。洗濯はよっぽどのことがないとしない。トイレは野外でするから問題はない。決して快適ではなかったけれど,それほど不自由にも感じなかった

意外だったのは,地域の人々がそれほど節水を意識的にしていなかったことだ。乾季も真只中になると溜池さえも干上がる。そうすると,女性はロバにポリタンクをくくりつけて水を汲みくむために川に向かう。10km以上ある道のりを往復すると半日近くかかる。一方,男性は水汲みを一切しない。しかも,女性が苦労して持ち帰った水をじゃぶじゃぶと豪快に使う。飲み水や調理に使うのならまだしも,明日開かれる市場に行くための服を洗ったりしているのには閉口した。わたしは憮然として抗議するのだが,男性は「水汲みは女性の仕事だ」と言い放つ。女性もまた,このような男性に文句ひとつ言わないで,足りなくなるとまた汲みにいく。あまりにも淡々としているので,わたしは,水汲みの道中に恋人の家があるのかも,などとあらぬ想像をしてしまったほどだ。さほど騒ぎ立てないのは「川にいけば水がある」という安心感だったのかもしれない。

この地域の女性は荷物を背負ったり,ロバで運搬したりして,頭に乗せることはほとんどない。

今年は日本でも渇水が予想されている。水は無限にあると信じて止まないわたしたちにとって,アフリカの人々の渇水に対する悠然とした心構えや対処方法に学ぶことは多そうだ。

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日本とアフリカに暮らす人びとが、それぞれの生き方や社会のあり方を見直すきっかけをつくるNPO法人「アフリック・アフリカ」です。