再会を待ちわびて

眞城 百華

2020年3月13日エチオピアで最初のCOVID19の感染者が見つかり、驚くことに最初の感染認定者は日本人との報道が流れた。私は、同年2月中旬に10日ほどエチオピアに滞在し、その後、他のアフリカの国に行き別の調査をした後、3月18日に追加調査のためにエチオピアを再び訪問した。2月にはエチオピアではアジアやヨーロッパのCOVID19の噂はしても、この感染症についてほとんど警戒していなかったが、3月に再訪すると様相はガラリとかわっていた。エチオピアの空港では、入国者全員に対して健康状態を記入するフォームが渡され、医療の専門家に渡航歴と健康状態をパスポートとともにチェックされ、初めて入国が許可される体制がとられていた。同時期の日本が指定国からの帰国者以外には、問診も帰国調査も何もせずに入国させていた事実と対比すると感染者が10数名しか見つかっていない段階からエチオピアの水際対策は徹底していた。日本人が最初の感染者であったためか、数日だけの滞在予定でエチオピア入国をする理由を聞かれ、手続きの中でちくりと嫌味を言われたりし、たった3週間ほどでエチオピアがこのウィルスについて緊張感を高めていることが入国の段階で感じ取れた。

3月のエチオピア調査は、2月中旬の訪問時に出会った女性たちに話を聞くことが主な目的であった。2月にはハグをしながら両頬にキスをする挨拶をし、ある日の午後にはホームパーティーによばれて密集して午後中一緒に踊ったり、おしゃべりしたり、コーヒーを飲んで親交を深めた女性たちだから、きっとこんな状況下でもあってくれるだろう、と高をくくっていたが、アポ取りの電話をするとどうも様子がおかしい。女性たちのライフヒストリーを聞く調査で、自分の経験をぜひ聞いてほしいとこぞって電話番号を教えてくれた女性たちが、国内で初の感染者が見つかってからたった1週間で自身や家族を守るために注意深くなっていた。この新しいウィルスは何が原因でどのように広まり、感染しないためには何をしてはいけないのか、どこに気を付ければよいのか、一気に情報が入ってきている時期だった。首都ではテレビもラジオも、SNSもコロナ対策一色、街宣車がコロナの対応策を伝える放送を流しながら一日中街を走っていた。定宿は世界的なコロナ拡大をうけて航空便が減便となり帰国便を逃した宿泊客であふれかえって、私の予約は突然キャンセルされ、いつもより数倍高額なホテルに行かざるを得なかった。高級ホテルで一番驚いたのは、ホテルに入る前にかならず「サニタイザー(手指消毒液)」を使用しないと、建物に入れてくれないことだった。日本から持ってくることはあっても、10年以上通うエチオピアで初めて見るサニタイザーを使うように指示されることが新鮮だった。エチオピアの人たちはとてもきれい好きだが、ホテルは厳戒態勢で1時間に1回は消毒液でエントランス付近の床を掃除している。チェックイン後も大きな荷物をいつもは軽々運んでくれるスタッフが、ビニール手袋をして部屋の前までしか荷物を運んでくれなくなった。町にでると、タクシードライバーがビニール手袋をして運転をし、私が自分用に手指消毒液を使うと、それを分けてほしいとお願いされた。私の帰国便も数日のうちに2回も変更になり、それも帰国の前日に再度延期されたため旅行会社に慌てて駆け込んでチケット確保しようと焦っていると、旅行会社が入るビルの入り口では、サニタイザーがないために、急場しのぎの手洗い場が設置されており、手洗いをしないと建物に入れない、という新しいルールが徹底されていた。

1)ホテル入り口のサニタイザー

2)ホテルの掃除風景

3)タクシードライバーの手袋

4)ショッピングセンターの即席手洗い場

 

今は、エチオピアでは色とりどりの手作りマスクも使用が一般的になっているが、3月の段階ではマスクはあまり流通しておらず、マスク使用も強く勧められていなかった。おそらくマスクの供給が追い付かないので、マスク不足で人々を不安にさせないためにマスクの必要が強調されていなかったのだと思う。

厳戒態勢の中で、私の調査は難航したが、ホテルのロビーで距離を取って会うことを条件に数人の女性が調査に応じてくれた。ハグもキスも、握手すらなかったものの、距離を取りつつ、女性たちは時間を割いて私の調査のために自身の経験を語ってくれた。3月に入国してから見聞きしたエチオピアの緊張感の高まりに私も今度いつエチオピアに来ることができるだろうかと不安になりつつも、今できることに集中しようと調査に熱が入った。いつもならコーヒーや砂糖をお礼に渡すが、今回は持参していたサニタイザーと消毒液がお礼の品になった。調査の助手をしてくれた友人も、ルールを守って距離を取りながら一緒に行動していたが、私の帰国直前に、やっぱり我慢できない!とハグをして見送ってくれた。

5)帰国時のボレ空港は閑散としていた

 

人口が約1億人とアフリカ第二位の人口を誇るエチオピアの感染者数は、7月くらいから増加している。とうとう9月23日からはエチオピアへの入国にはPCR検査の陰性証明(120時間以内)が義務付けられ、COVID19の影響は今後もしばらく継続するだろう。

エチオピアは2020年の8月に大きな政治の転換点となる国政選挙を予定していたが、COVID19の影響もあり、その国政選挙は延期になり、現在(2020年9月末現在)も選挙の日程は未定である。1991年に前政権を倒してから中核を担っていた与党が解党・再編され、多くの野党の参加が見込まれた選挙であったために、選挙の延期は新たな政治不安や混乱を引き起こしている。そもそもCOVID19の影響がなくとも約30年ぶりの大きな政治転換期、どのように政治が転じてもおかしくない状況であった。アフリカでもCOVID19の影響下でも国政選挙を実施した国は複数あるので、エチオピアの政治混乱はCOVID19の影響とはいいがたい。私の調査地も感染症よりも今後の政治の成り行きを心配する声が高まっていた。

帰国後、調査の遅れや政治の転換期に情報がなかなか入らないことへの焦りももちろんあったが、この9月にはもう一つ気になることがあった。3歳から知っている友人の娘の大学卒業である。4月から授業の一部がオンラインになり、地方都市に住む彼女はなんとかネット環境を整えて卒業のための単位を取り終えた。本当であればもっと調査をして書くはずだった卒論は、思うように移動やインタビューや資料集めができなかったようだ。学費を支援していた私に送付してくれた卒業論文には「COVID19の影響で調査に制限が生じた」と一筆添えられていた。若者の失業率がもともと高かったうえに、さらにCOVID19や政治の混乱があって彼女の卒業後の進路は決まっていない。それでも卒業論文や論文のプレゼン資料が添付された彼女のメールからは、学業に一つの区切りを終え、学びの成果を示す喜びがあふれていた。日本で通信の負荷を減らすために受講生の顔が見えないよう設定したZOOM画面に向かって話し続けることに虚しさを覚えていた私には、どんな環境になっても学ぶことができることを喜び、成果を誇らしげに報告してくれる彼女がうらやましく思えた。

はたと立ち止まるとアフリカに行き初めて最も大きな変化に、実は一番右往左往しているのは自分だと気づいた。アフリカに渡航できなかった夏、これまで行ってきた調査記録を読み直していくと、私が調査で話を聞いてきたエチオピアの人たちは、もっと大きな飢饉や天災、戦争や政治の混乱の中に身を置いてきたことに改めて気づかされた。幾多の困難や変化を乗り越えて目の前のできることに向き合うまっすぐな姿勢は、私があった多くのエチオピアの人たちからなんども教えてもらってきたことだった。今回もCOVID19や政治問題の解決は決して簡単なことではなく、数年単位で影響が続くだろう。しかし、アフリカには混乱や苦難を乗り越えてきた人々の豊かな経験と知恵があることも忘れてはならないとも思う。

ハグやキスをして、この混乱をどう乗り越えたのかを笑い話にしながら昔馴染みが集まってコーヒーを飲んだり、一緒に踊ったり、友人の娘サラームの卒業を改めて一緒に祝う日が待ちどおしい。