リフトバレー・ホテルの思い出(エチオピア)

西崎 伸子

旅をしている者にとってその日の宿をどうするのかというのは大事な問題だ。バックパッカーをしていた二十代前半は「安ければ安いほどいい」と考えていた。予約はせずに,行きあたりばったりでとにかく安い宿を探した。そうすると安宿ゆえにハプニングが起こる。ドイツのロマンチック街道沿いの観光地ではユースホステル(YH)のベッドに空きがなく,同じ境遇のバックパッカー仲間数人と一人用のテントで一晩を過ごした。また,別のYHの広い相部屋で昼寝からふと目を覚ますと,出かけていた他のバックパッカーの置き荷物をあら捜ししている「泥棒」と目が合った。イエメンのとあるホテルでは(ここは決して安宿ではなかったが),パスポートも荷物もすべて盗まれた。

こうして振り返ってみると宿についてほとんどいい思い出がない。フィールドワークをしているエチオピアにおいても,首都には定宿はないし,田舎でもブンナベッド(ブンナはコーヒーを示す現地語)といわれる1泊300円ぐらいの安宿に泊まることが多い。そんな「安宿好き」のわたしにも,半年もの間滞在していた‘高級ホテル’がある。地方都市にあるそのホテルは1泊1500円もする。といっても地方都市の‘高級ホテル’というのは,24時間電気がつく,お湯のシャワーが出るといったささやかな高級さなのだが,わたしがそのホテルを気に入っていたのはそのような理由からではなく,そこで働くホテルの従業員との温かいコミュニケーションがあったからだ。

わたしはその頃エチオピアに滞在し始めたばかりで,現地語がまったく分からず,仕事はうまくいかず,心身ともに疲れ果てていた。誰かと話をして憂さを晴らしたいが,インターネットや携帯電話が普及してない時代で,その術も相手もいない。そのような状況のなか,ホテルのフロントで働くA氏は,英語を不自由なく話し,わたしの愚痴をいつも聞いてくれる良き友達となった。また,ホテル内のレストランで働く女性コック長はいつも笑顔でおいしい料理を作ってくれた。他の従業員も皆それぞれに個性的で親切だった。この町にあまり来訪しない日本人旅行者がホテルに来ると,「NOBUKO,Your friend!!」と大慌てで呼びにきてくれた。別に友達でもない見ず知らずの人の前にパジャマのままひっぱって来られて,かなり気まずい思いをしたこともある。それでも,そのホテルに滞在している間だけは,気持ちを落ち着けて過ごすことができた。

しかし,半年ほどしてホテルでの暮らしをやめ,同じ町の一軒家に移った。その後もしばらくはホテル内のレストランやカフェを利用したが,やがて足は遠のき、その後再訪したときには、もうホテルに立ち寄ることはなかった。わたしが滞在していた頃にいた従業員はほぼ全員入れ代わっていたからだ。

それからさらに4年ほど月日を経てエチオピアの別の町のホテルに立ち寄ったときのことである。なんとフロントに立っていたのはあのA氏だった。あまりの偶然に驚き,お互いに再会を喜び合った。そして,彼があの女性コック長と結婚し,子供が誕生したことなどを聞き知った。

今度エチオピアにいくときにはあのホテルにもう一度立ち寄りたい。ホテルの名前は‘リフトバレー’,アフリカ大地溝帯(リフトバレー)のシャシャマネという騒々しい町の街道沿いにきっといまもあるはずだ。

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日本とアフリカに暮らす人びとが、それぞれの生き方や社会のあり方を見直すきっかけをつくるNPO法人「アフリック・アフリカ」です。