「カラン カラン」と首から鈴を賭けた一頭の馬が、木製の力車に人を乗せ軽快に道路を走っていく。これは、わたしがエチオピアの町で2年間暮らしていたときに、よく利用していた馬車である。現地の言葉で”ガリ”と呼ばれていた。
そもそも私が町でガリに乗り始めたのは、町がとても治安が悪かったからだ。町にはタクシーやバスなどの公共的な乗り物がなく、歩くかガリに乗るかしか移動の手段がなかった。始めはどんなに遠くても歩いていたが、市場や長距離バス乗り場にはスリが多く、私は極力財布をもたず、紙幣は靴下の中に入れ、小額の硬貨だけをポケットにいれて出かけた。それでも堂々とポケットに手をつっこんでくるスリに辟易していた。
そんなときに利用し始めたのがガリであった。ガリは馬を操る運転手の他に2人ぐらいの大人が乗ることができる。運転手に行き先を告げ運賃を聞き、必要に応じて値段交渉をする。運賃は市場まで約2kmぐらいで50セント(当時8円ぐらい)と安い。ガリのスピードは車よりは遅いが歩くより早く、スリに狙われる心配もない。自転車や車みたいに運転しなくてよい。ただ辺りの景色を眺め、運転手と世間話をしながら乗っていれば目的地へついてしまう。そんなガリにも唯一欠点があるとすれば、眼前の馬のおしりから、う○こがぼとぼと落ちることぐらいだ。それだって直接かけられるわけではないし、極めて快適な乗り物だった。
現在エチオピアでは、とくに首都アジスアベバにおいて車が急増しており、交通渋滞は日常茶飯事である。しかし、地方都市ではいまもなお馬車が日常の交通手段として利用されている。いずれ、地方都市にも車が普及し、馬車はなくなるかもしれない。馬車を「運転」する若者は、いつかは自分の車を持ちたいと思っているのかは分からないが、TOYOTAやMITSUBISHIなど憧れの日本車名を馬車に記している。しかし、馬車は時代遅れの象徴ではなく、「エコなライフスタイル」を実践するための先駆け的手段ではないだろうか。馬車を日常的に町に走らせようと思えば、土道や牧草地も必要となる。土埃を少し我慢すれば、そこには排気ガスゼロの極めて快適な空間が広がるのだ。