買い物の楽しみ(エチオピア)

森下 敬子

日本では、特段必要な物がなくてもぶらぶらとウィンドーショッピングに出かけるのが好きな私でも、エチオピアの市場に出かけるのはあまり好きではなかった。値札がついているわけではないので、まず値段交渉から始めなくてはいけないし、不良品を掴まされても、後で交換・返品に応じてくれるということはまずない。電球一つ買うにしても、まず値段交渉して、不良品でないかを確かめるために、電球をソケットに繋いでもらって明かりが点くことを確認してから、ようやくお買い上げとなる。日本のように、無言で商品とお金を交換すれば欲しいものが手に入るというわけではないのだ。

エチオピアの首都アジスアベバにあるマルカート地区は、ガイドブックに「東アフリカ最大の市場」と紹介されている巨大な商業地区で、いつも大勢の買い物客で賑わっている。「マルカートで手に入らない物はない」と言われるほどで、生鮮食品から家畜、電化製品、衣料品、日用品、自動車のパーツまで、とにかく何でも売っている。エチオピアに来たばかりの頃は、その膨大な店舗や商品を眺めているのが物珍しく、何度か人に連れてきてもらったりしたものだが、「外国人はボラれる」「ポケットに手を入れたことすら気づかれない天才的なスリがいる」など、治安の悪いことでも有名で、一人で買い物に来ることはないだろうと思っていた。

ところが、マルカートデビューの日はすぐにやってきた。アジスアベバは標高2500mの高地にあるので、特に雨期には、朝晩の冷え込みが激しい。薄い毛布一枚では寒くて、「毛布が欲しい」というと、お世話になっているエチオピア人の家族が、「マルカートで買ったら?良い毛布が安く買えるよ」と言う。スリに会うのが怖かったが、お母さんから「この辺では良い毛布は売ってないわよ。気をつければ大丈夫。リュックは置いていきなさい。100ブル(当時約2000円)以下で買えるから、お金だけ持ってね」とアドバイスを受け、マルカートに行く覚悟を決めた。

バスを降りたら、マルカートの中をわき目もふらずに早歩きで、毛布を売っているお店の集まる方角に向かう。人込みの中、「チャイナ」「ジャッキーチェン」と野次を飛ばされても、英語で「何が欲しいの?」と話しかけてくる自称ガイドがついてきても、無視して歩き続ける。とにかく人が多いので、人にぶつからないように歩くので精一杯。毛布屋に向かう道の途中で、ふと目に入った靴下を見て、「そういえば靴下も破れてたっけ」と思い出し、ついでに買うことにした。

お店に入ると、店主の他にも客が4、5人いて、珍しい外国人をチラチラと見るけれど、いつものことなので気にしない。適当な靴下を選んで、「いくら?」「高すぎるよ」「安くして」「じゃあ3足買うからまけてよ」と値段交渉。適当なところでお金を払おうと思って、靴を脱いで、靴下を脱いだ。私はスリにお金をすられないように、右足だけ靴下を2枚重ねて、その間に100ブル札を一枚忍ばせていたのだ!我ながら良いアイデアだと思っていたのだが、靴下の中からお金を取り出した私を見て、店中の人たちは大爆笑。「そうだよ、マルカートにはスリが多いからな」「そんなところにお金を入れているから、たくさん靴下が要るんだろう?」「彼女は賢いよ」と、感心したり呆れたりしている。お金を払うと、店主が「他にも買い物するのかい?」と聞いてくる。毛布を買いに行く、と告げると、店主と客たちは、私がどの毛布屋に行くべきか、勝手に相談を始めた。まったく意見がまとまらないようで、私は椅子に座るように促され、「毛布をここに持ってこさせるから、座って待っていなさい」という。店の奥から出てきた子供が、走って毛布屋を呼びに行く間、私は椅子に座って出されたお茶を飲みながら、靴下屋と見知らぬ客たちから質問攻めに合う。「名前は?」「何年エチオピアにいるの?」「どこに住んでるんだ」「なんでそんな遠くに住んでいるのか?」「何歳なの?」「日本は経済が発展していて良い国だね」「日本に働き口はたくさんあるかな?」「日本で働きたいんだけど、ビザが取れるように大使館と交渉してくれないか」「『おしん』見てるよ」・・・・

そうこうするうちに、店の子供が3人の男たちを連れて帰ってきた。それぞれが毛布を5、6枚ずつ、両手に抱えている。店主と客たちは、今度は私のことはそっちのけで、「いくら?」「いやー高すぎるだろ」「こっちは品が良くないね」と、毛布の品定めを始めた。私の毛布なのに、私に意見を聞こうという気配はまったくない。しばらくすると全員の意見が一致したようで、「この毛布がいちばん良いよ。これを買いなさい」と渡された。私にまったく選択権が与えられなかったのは若干悲しかったが、マルカートの人込みを歩き回って自分で値段交渉から始めるのはとても疲れることだし、断るのも面倒な気分になって、勧められるままに毛布を買った。

家に帰って、お母さんに「毛布買ってきたの?見せてごらん。いくらだった?へぇー!良い買い物をしたわね」と褒められた。疑り深い私は、初めて出会った靴下屋とそこに偶然居合わせた客たちを信頼していたわけではないので、正直に言うと、「靴下屋も客も毛布屋も、全員がグルになって私に高い買い物をさせたのかも」と、ちょっとだけ疑っていたのだ。治安が悪くて、スリや悪徳商人がたくさんいると思っていたマルカートだったが、幸運にもこの日私が出会った人たちは、そうではなかったらしい。なぜ見知らぬ外国人にそこまで親切にしてくれたのか理由は分からないが、いつかまた、靴下が必要になったら、マルカートのあのお店を訪れようと思っている。