松隈俊佑
当然だが、エチオピアの公用語であるアムハラ語の辞書に茶を「しばく」と訳される動詞はない(「茶をしばく」とは「お茶する」の意味で主に関西圏で使われる表現である)。しかし、エチオピアの大学に通っていると「ちょっと茶でもしばこうや」と言われている気分になる場面がたくさんある。私が頭の中で勝手に「茶しばこう」と翻訳しているフレーズは、アムハラ語の「ቡና እንጠጣ ?(ブナ インタタ)」である。英語に直訳すると「Shall we drink coffee ?(コーヒー飲みに行かない?)」となる(ቡና: Coffee, እንጠጣ: let’s drink)。
私は現在、SATREPS-MNGDプロジェクト(「特殊土地盤上道路災害低減に向けた植物由来の土質改良材の開発と運用モデル」)を実施するべくエチオピアに駐在し、アジスアベバ科学技術大学で勤務している。ある日、大学のオフィスで仕事をしていると、午前10時を過ぎた頃に隣のオフィスの先生から声をかけられた。しばらく仕事の話やとりとめのない話をしていると、「ቡና እንጠጣ ?(ブナ インタタ)」と誘われた。誘いに乗ると、隣の講義棟の一階の教室を改造したカフェスペースに連れられて入った。そこでジャバナと呼ばれる土器(素焼きのコーヒーポット)で淹れられたコーヒーを、おちょこのような小さなコーヒーカップに注いでもらう。小さいカップに注がれた熱々のコーヒーをちびちびと飲みながら、お互いの家族の話や政治の話、家計の話——「このコーヒー1杯だって2019年は5ブルだった。だけど今となっては10ブルだ」など——なんかをした。15分ほど談義して、お互いのオフィスに戻った。
ジャバナ(コーヒーポット)とコーヒーカップ
また別の日、大学の実験室で作業をしていると、昼の12時を回った。実験技師に「お昼持ってるか?」と聞かれて「ない」と答えると学食に誘われた。お昼を食べながらいろいろな話をして、食べ終わったあと、やはり「ቡና እንጠጣ ?(ブナ インタタ)」と誘われた。「茶でもしばこうや」、「ええで」と頭の中で翻訳しながら「እሺ(イッシ:Okay)」と答えた。カフェに改造された部屋に移動し、そこでコーヒーを淹れているお姉さんにコーヒーを頼んで、一杯のコーヒーを飲んだ。コーヒーを待ちながら、そしてコーヒーを飲みながら、実験技師から大学の人事に関する愚痴を聞いた。
講義棟の一室がカフェスペースになっている
カフェスペースにアレンジされた部屋
私はケニアやタンザニアにも滞在したことがあるが、こういった経験はあまりなかった。午前中のコーヒータイムや食後のコーヒーを愉しむというのは、東アフリカの中でもエチオピア特有の生活習慣である。ケニアやタンザニアではコーヒーは主に外国人向けの産業で、地元の人びとはコーヒーより紅茶を好むことが多い。
エチオピアにおいては、コーヒーを淹れ、それを振る舞い、客人がそれを愉しむという行為に文化的・儀礼的な意味合いがある。英語では「コーヒーセレモニー」と呼ばれ、エチオピアのコーヒーセレモニーに関する情報は日本語でも英語でも広く散見される。コーヒーセレモニーは地域や民族によって多様性があり、ときと場合によって作法は柔軟に変化する。そのため、インターネット上で見つかる「エチオピアコーヒーセレモニー」についての記事は、その記事一つひとつ内容が異なる。しかしながら、多少の差はあれ、どの地域やどの場面でも「コーヒーをその場で淹れてもらいその場でいただく」ということが大切な時間であるという認識は共通しているように思う。そしてその慣習は、アジスアベバというせわしない都市のなかでも息づいている。ちょっと腰掛けてコーヒーを飲む場所がアジスアベバの市内のいたるところに見られるのである。
大学のカフェスペースに用意されたコーヒーセレモニーセット
ところで、なぜ私は「ቡና እንጠጣ ?(ブナ インタタ)」を「お茶しに行こう」ではなく、「茶でもしばこう」と勝手に翻訳しているのだろうか。かつて過ごした京都でも「茶をしばこう」と言ったり聞いたりする機会はあまり多くないのにも関わらず、である。
この疑問は、日本から出張でエチオピアに来たA先生と、やはりアジスアベバ科学技術大学で茶をしばいているときに不意に解けた。A先生にこの話をすると「『お茶しに行こう』と言うと、何か目的がある——たとえば雰囲気の良いカフェに行くとか、場所を変えて話し合おうという含意がある——ように感じるよね」と言われたのである。アムハラ語の「ቡና እንጠጣ ?(ブナ インタタ)」は、特に目的はないけれど、腰掛けてほっと一息つこうというようなニュアンスが強いと私は感じていたため、「茶でもしばこう」という肩肘張らない表現がしっくりくるのだと気がついた。
目的のない一杯のお茶と、目的のない一息つく時間、もともと目的はないのだけれど、これを共有することで、新たなコミュニケーションが生まれたり、不意に打ち解けたり、思いがけないディスカッションに発展したりする。そんな「茶しばこうや」と「ええな」がアジスアベバに溢れており、その中で生まれる関係性の変化やいろいろなアイディアが、生活に新たな気づきや活力を与えてくれている。