文字どおり草木が生い茂るアフリカの熱帯雨林では、一見したところ森(あるいは二次林)と畑を見分けるのが難しいことがある。さらに、荒れ果てた畑ともなると、その「境界」を見極めるのには、それなりの経験が必要となるのではないか。
私が長年調査を行っているカメルーン南東部の熱帯雨林で暮らすバカ(Baka)の人々は、ピグミー系狩猟採集民として知られている。ただ、いまでも常に森で狩猟採集活動を行っているかといえば、必ずしもそうではない。カメルーンでは1950年代から定住化と農耕推進の政策がすすめられ、バカの人々に浸透した。現在では、一年の大半を幹線道路沿いの定住集落を拠点として、周辺の森林を開いた焼畑農耕を行っている。
焼畑農耕といっても、おおむねアフリカ熱帯雨林地域の焼畑農耕は比較的シンプルな手順であり、㈰樹木を切り倒す。あるいは下草を刈り取る。㈪乾燥した下草・倒木に火を放ち焼く。㈫土を掘り返して作物を植える(料理用バナナ、キャッサバ、トウモロコシ、カカオなど)。㈬ときどき雑草などを刈ったりするが、基本的には放置。㈭頃合いをみて作物を収穫する。・・・と、いった具合である。農業の専門家からみたら実に乱暴な解説であろうが、少なくとも私がこれまでにみてきたバカの農作業をみたところでは、ざっとそのような印象を抱き続けてきた。
ただし、同じアフリカ熱帯雨林地域でも、いわゆる農耕民といわれる人々の畑は、その規模とあわせて手入れが行き届いたものが多い。もっとも、その焼畑作りや手入れには、大勢のバカの人々が雇われて、労働に従事している場合が顕著なのだが。(※畑作業の様子については、アフリック・ニュース71号(2011年7月)に掲載された坂梨氏によるエッセイ「『Motivation』を持って働く」参照。)一方で、「本当に狩猟採集民の畑?」と思わずにはいられない立派な自給作物用の畑や、換金作物であるカカオ畑を持っているバカもいる。家族を養うために、また、日用品などの生活物資を購入するための手段として農作業を積極的に行っているのだ。
そのように、農耕が浸透したバカの人々のあいだで近年問題になってきているのが、苦労して開いた焼畑やカカオ畑を、遠方からの移住者(農耕民や商人)にあたかも容易に貸したり売ったりしてしまうという事例である。バカの人々は、畑の対価としてある程度まとまった現金を受け取るが、自分の畑を失ったあとは農耕民の畑で雇用されるか、また新しい畑を開くということになる。あるいは、森に移動して長いキャンプ生活を送る場合もある。ともすれば、理解するのが難しい事情や価値観であるが、畑自体にさほど執着せずにいるところが「狩猟採集民らしい」と言えるだろうか。
「耕す」ということばは、英語でcultivateと訳され、「文化」や「教養」を示すcultureや「農耕(cultivation)」、「農業(agriculture)」と深く関わることは、みなさんもご承知のことだろう。いくらかうがった見方だが、「耕す」ということばと行為を一歩進めたうえで考えてみると、西洋的な意味での「文化」や「教養」とは異なる視点でバカの生活は続いているのかもしれない。人類の歴史において農耕革命が興った約一万年前以降、世界中の狩猟採集民は急速にその数を減らしていったが、現在残る狩猟採集民のおかれている状況も変化の一途をたどっている。バカにとっての農耕のように、「耕す」ことの価値観と選択が存在することもそのひとつだ。
今夏にカメルーンの調査地を訪れた際、まだあどけなさが残るバカの少年に将来の夢を尋ねたところ、「立派な家を建て、大きな畑を持ちたい。」と語っていた。
狩猟採集民が土地を耕したあとには、これから何が残るのか。
少年の真剣な表情と対峙しながら、バカの人々の将来に思いを巡らせた。