第28回アフリカ先生「法政大学人間環境学部」報告

「不一致を生きる:エチオピアのグラゲ県住民によるHIV/AIDSへの取り組み」(2008年12月6日)

西 真如

「環境保全」というテーマからは少し外れてしまうかなと思いながら、かといって全く無関係というわけではないかなと考えて、この講義では「人間とウイルスとの共存」という問題について取り上げました。

ウイルスは、まぎれもなく人間を取り巻く環境の一部でありながら、同時に人類にとってもっとも手ごわいの敵のひとつでもあります。そのウイルスと「共存」するという考えは、ちょっと奇妙に響くかもしれません。しかし人類の歴史を振り返ってみると、私たちは実際にウイルスとの共存を「選んで」きたのだということに気づかされます。

農耕や牧畜が人類に知られていなかった時代には、ウイルスや病原菌によって引き起こされる感染症の多くもまた、人類に知られていませんでした。例えば麻疹(はしか)や赤痢が人びとを苦しめるようになったのは、農耕が始まり、村落が形成されるようになってからだと言われています。多くの人が狭い範囲に集まって住むようになると、ウイルスが人から人へと感染しやすい条件が整うのです。都市で生活する人が増えるようになると、感染症の流行はさらに起こりやすくなります。

もうひとつ、移動技術の発達も重要な要素です。大航海時代以降、さまざまな感染症が世界を駆け巡るようになりました。最近ではジェット機による人の移動が、インフルエンザの世界的な流行を促進するようになっています。人類はその歴史の中で、新たな正業の手段や、新たな移動技術を獲得するとともに、ウイルスや病原菌との「親密な」関係を築き上げてきたのです。

このことは、HIV/AIDSについて考える上でも、重要なことです。HIV/AIDSは「死の病」であるというイメージがありますが、実際には効果的な治療薬が開発されたことで、HIVに感染した人(HIV陽性者)の余命は、感染していない人とあまり大きく違わないところまで来ています。20歳でHIVに感染した人は、適切な治療を受ければ40年以上は生きられるだろうと考えられています。ただしこの治療薬は、人の体内でウイルスの増殖を抑えることができても、ウイルスを完全に駆除することはできません。HIVに感染した人たちのことを「ウイルスとともに生きる人びと」と呼ぶことがありますが、これは非常に的確な表現であると思います。

ここで重要なことは、単にウイルスに感染した個人が、ウイルスとともに生きているのではないということです。はじめに述べたように、人類の文明そのものがウイルスとの「共存」を選んできたのであり、その意味では私たちの社会そのものが、ウイルスとともに生きているのだと考えねばならないわけです。

以上のことを前置きした上で、講義の残りの時間でエチオピアのグラゲ県住民によるHIV/AIDSへの取り組みについて紹介しました。グラゲ県では、地域住民が中心になってHIVの感染を予防し、またHIVに感染した人たちの生活を支援する取り組みをおこなっています。彼らは当初、「結婚前検査」という方法で、すぐにHIVのない社会をつくることができると考えました。結婚を希望するすべての男女に対して、HIV検査を受けることを義務づけたのです。検査を受けない者は結婚が認められないし、検査によって感染していることがわかった者も、結婚を認められません。

しかしグラゲ県の人たちはすぐに、この方法が思ったほど効果的ではないことに気づきました。というのも、結婚したあとにウイルスに感染する人もいるからです。それだけではなく、県内の既婚者の中に「不一致カップル」(夫婦の一方がHIVに感染しており、もう一方が感染していない)が少なくないこともわかってきました。こうした経験から、グラゲ県の住民による取り組みの重心は、HIVのない社会をつくることから、社会の中にある不一致を前提として、感染した者とその家族の生活を支えることへと移行しつつあるように思われます(グラゲ県住民によるHIV/AIDSへの取り組みについては、別のページでもう少し詳しく紹介しています)。

講義に出席した学生の感想のなかには、「ウイルスとの共存」という考え方に共感を示してくれるものもあって、嬉しく思いました。結婚前検査については、結婚する相手への責任として当然おこなうべきだという意見がある一方、結婚を決めた相手がHIVに感染していることを受け入れることができないのだろうかと、半ば自分に問いかけるような感想もありました。