丸山 淳子
あっと思ったら、もう遅かった。私のズボンが、まだらに濡れていた。当の本人は、一段と機嫌がよくなり、笑い声をあげている。周りの大人たちは、私が思わず上げた声に、ちらりとこちらを見たけれど、すぐにおしゃべりに戻っていった。私たちの座る木陰を、風が、ふわりと抜けていった。濡れたズボンが冷たい。私だけが、場違いに動揺していた。
とにかく、と私は深呼吸した。とにかく、これはまるでたいしたことではないようだ、落ち着こう。あやしていた赤ん坊が、膝の上で、おしっこをしたことなんて、ほんと、どうってことないことなのだ。濡れた服を拭いたり、着替えたりなんてしなくていいし、もちろん大騒ぎするようなことじゃない。さっき風が吹いたとき、木の葉が落ちてきたことと同じくらいか、それ以上に、なんでもないことなのだ。ただ当たり前に過ぎていくことなのだ。
カラハリ砂漠のはずれ、ブッシュマンの暮らす定住地でフィールドワークを始めたころ、何もできなかった私に与えられた仕事は子守りだった。言葉はわからない。水汲みも、薪拾いもろくにできない。狩猟や採集の戦力にならないのはもちろんのこと、限られた水で食器を洗うことも、焚火を使って煮炊きすることもうまくいかない。私を受け入れてくれた家族は、あまりに何もできない私に驚き、あきれたのか、当時5カ月だった末息子を託すことにしたようだ。大きな目をした赤ん坊が、躊躇もなく、私に手渡された。
赤ん坊をあやすくらいできるだろうということだったのか、小さな子どもでも、粋がった若者でも、もちろんおじいちゃんおばあちゃんでも、だれもが赤ん坊の世話など簡単に やってのけるこの社会には、私がまさかそれすらやったことないと思う人などいなかったようだ。言われるがままに、私はどこかへ行くときは赤ん坊をおぶい、木陰で休むときは赤ん坊を膝の上であやし、毎日を過ごした。彼のおかげで、言葉がわからなくても、さみしくなかった。調査はちっとも進まなくても、なにか役に立っているような気分になれた。
赤ん坊の腰には、ビーズでつくった飾りが一周しているだけだった。少し遠くに出かけるときは、お母さんが柔らかい布を畳んでオムツにし、お父さんが町で買ってきたズボンを履かせていたけれど、普段は、そのまんまだ。もちろん紙オムツなどない。大人たちは、どうやって知るのか、彼がおしっこをしたそうにすると、さっと自分から離して、その体勢にしたりしていたけれど、私にはそんなことできるはずもなかった。もっとも彼らだっていつも成功するわけではなくて、しょっちゅう赤ん坊におしっこをかけられていた。だけど、誰も気にしない。ちらっと見て、あるいは見もしないで、終わりだ。
カラハリは乾燥している。太陽も照り付ける。だから、赤ん坊のおしっこなどすぐに乾くし、カビが生えたり、雑菌が繁殖したりする隙さえ与えないようにも見える。そうはいっても、臭いは残るし、シミもできる。でも、誰も気になどしていないようなのだ。だって、赤ん坊がところかまわずおしっこをするなんて、当然のことだ。しないほうが大問題だ。そういえば、小さな子どもが近くにいる人たちは、みんなどこか、おしっこ臭い。次第に、私も赤ん坊を抱きあげることに躊躇しなくなり、泣かれても動じなくなり、そしてしっかりおしっこ臭くなった。きっと、とんでもなく頼りなかったはずの私に、赤ん坊はすっかり身を預け、大人たちは不安がる様子も見せなかった。だから、私も安心して、赤ん坊におしっこをかけられながら、彼がすくすくと育つ様子を間近で見せてもらった。
そんな赤ん坊もいまや立派な青年になり、一方の私は最近、日本で育児をはじめた。高機能の紙オムツはおしっこの一滴も漏れないように日々進化していて、使用済み紙オムツを入れるために特別につくられた袋は無臭を謳う。その恩恵にあずかりながら、そして、ときどき失敗しながら、ふとカラハリのおしっこ臭い日々を思い出す。そう、おしっこが漏れたり、臭いがしたりしたら、ここでは「失敗」なのだ。清潔は、育児の至上命令のようだ。だけど、そんな「清潔」と引き換えにした何かがなくても、この子はちゃんと育ってくれるだろうか。いや、引き換えにしたものなど何もないのかもしれない。きっと清潔は良いことなのだ。そう思ってはみても、あのおしっこ臭い日々にあった何かを欠いている気がして、でもその何かがなんなのかわからずにいる。それでも、この子は、カラハリの人々のように健やかに、おおらかに、自由に生きていけるだろうか。一日に何度となく紙オムツを替えながら、私はいつも不安なままだ。