話せるからって書けないし、書けるからって話せない?!(タンザニア)

藤本 麻里子

自分の母語について読み書きが出来る、このことを私は当前のように考えていた。日本では義務教育の小学校に上がる前から各家庭では、両親が子供にひらがなを教えたり、自分の名前の漢字を書けるように教えたりする。ところが、タンザニアの農村部では初等教育すら最後まで受けていない人がたくさんいて、国語であるスワヒリ語を話せるからといって必ずしもスワヒリ語で読み書きできる人ばかりとは限らない。そんな彼らにとって、フィールドで私が最も頼りにしているデータ収集ツールであるフィールドノートとシャープペンシルを、そしてたまにノートパソコンを操る姿は不思議な出来事だったようだ。

私がタンザニア西部のキゴマ州の農村でトングウェの人々の言語使用状況について調査していたときのこと。トングウェのお年寄りから民話や民謡を教えてもらい、フィールドノートにその歌詞や意味を書き取っていた。トングウェ語は文字や表記法を持たない話し言葉なので、もちろんトングウェの人々自身も書いたことなどない。それでも、なんとか書き留める必要に迫られた私は、自分なりに彼らが発する言葉を、録音する傍らでアルファベットを駆使して書き取っていた。また、なんとか書き留めたトングウェ語もスワヒリ語に訳してもらわなければなかなか意味が掴めない。そこで、調査助手として協力してもらっていた若者にトングウェ語からスワヒリ語に訳してもらった。私はそれをフィールドノートにさらに書き記していく。一通りスワヒリ語での書き取りが終わると、それを私の母語である日本語に訳してメモしていく。そんな作業を毎日朝から晩まで続けていた。

ある日、小学校のすぐ近くに住む老婆宅でトングウェ語の民謡の書き取り調査をしていたときのこと。学校が終わり、たくさんの生徒が老婆宅の周囲に集まり始めた。必死にノートの書き取りと格闘していた私がふと顔を上げると、何十人もの生徒が私を取り囲んでいる。皆、私の手元のノートを凝視しながらヒソヒソ話している。何を話しているのかな、と顔はノートに向けたまま耳をじっと澄ましてみた。すると小学生たちはこんなことを話していた。

「あいつ、トングウェ語とスワヒリ語と日本語を同時に書いている、すげー!!」
「トングウェ語ってどうやって書くの?」
「知らないけど、ちゃんと書けているみたいだよ、見て」
「どうして私たちにも書けないのにムズング(スワヒリ語でアラブ人以外の肌が白い人の総称)が書けるのだろう?」
「一体いくつの言葉を書き取れるのだろう??」

学校で使うノートを抱えた小学生

それを聞いて初めて冒頭のような事実に私は思い至った。そうか、聞いた言葉を、文字を駆使して書き取る、私が当たり前のように行なっていたことが教育の産物なのだと。その夜、私は村で数少ないジェネレータを持つ家を訪ね、お願いしてジェネレータを借りてきた。ICレコーダで収集した音声データをパソコンに移したり、タンザニアの役所に提出する報告書を作成したりするため、ときどきパソコンを使用する必要に迫られる。私がノートパソコンを開いて役所宛の報告書の作成を始めると、また周囲には人だかりが出来た。そして、今度は英語で報告書を作成する私を見て、滞在先の主人やその奥さんと子供たちが

「マリコは英語まで書けるの?」
「書けるっていうことは、マリコは英語も話せるのね」

と口々に言い出した。私は、英語は日常会話すらままならない。英語が話せるようになりたいと切に願ってはいるものの、なかなか上達しない。中学校以来受けてきた英語教育と研究上の必要に迫られて、英語での読み書きは会話に比べればまだましだ。そう説明しても、彼らは納得しない。

「書けるのに話せないなんてことあり得ない」
「書けるってことは英語を知っているってことじゃないか、なぜ話せないの?」

書くことは話すことより断然難しいと彼らは主張する。確かに私たちだって日本語を読み書きできるようになる前に話し始める。タンザニアの人々にとって母語である部族語やスワヒリ語は話せても書くのが困難なもので、私にとって英語はなんとか書けるけれど話すのは困難なものだ。私を取り囲んでいた生徒たちには、しっかり小学校を卒業してぜひ読み書きを習得してもらいたいものだ。

ABOUTこの記事をかいた人

日本とアフリカに暮らす人びとが、それぞれの生き方や社会のあり方を見直すきっかけをつくるNPO法人「アフリック・アフリカ」です。