ねだり、ねだられ、生きていく(ボツワナ)

丸山 淳子

小さな手がのびてきて、「わたしにも、ちょうだい」と声が聞こえた。4歳くらいの少女が、大きな目を見開いて、わたしを見上げている。とたんに、おばあちゃんたちが顔を見合わせ、そして、手をたたいて大喜びした。

わたしがお世話になっているブッシュマンの家族を訪ねて、遠くの農場に住む親戚たちが、この定住地にやってきた。ブッシュマンは、ボツワナやナミビアで、長年、狩猟採集生活を営んできた人々である。しかし、今日、その大半が、政府が設けた定住地に居住しているか、農場に住み込んで働いている。定住地と農場の暮らしは、ずいぶん違うけれど、親戚どうし、お互いに訪ねあっては、しばらく滞在することもめずらしくない。

この少女も、母親に連れられて、農場からやってきた。ところが、その母親は、旅の疲れからか、着いたとたんに、寝込んでしまった。少女のことは、みんながなんとなく気を使い、彼女がさみしくならないように、ちゃんと食事にありつけるように気をつけていた。そんな矢先に、彼女が自分から、わたしに、食べ物をねだったのである。

おばあちゃんたちが、口々に話し出す。「きいたかい?この子が、あんたに食事を分けてほしいといっているよ」「こんなにちっちゃいのに、人に頼んで、生きていく方法をよく知っているよ。」「外国人だからって怖がったりしないで、ちゃんとお願いできた。ほんと、りっぱな子だよ。」おばあちゃんたちは、彼女を抱きしめて、褒めちぎった。

一缶のコーラを分け合うこどもたち

ねだること、ねだられること。そのどちらも、ブッシュマンたちのあいだでは、日常風景だ。子どもから大人まで、なにかといえば、「それ、わたしにもちょうだい」という。一方で、日本では、ねだりは、あまり歓迎されない。とくに、家族でもない人に、なにかねだるのは、あつかましいし、ときに、はしたないことだとさえ思われている。欲しいものがあれば、買うなり、つくるなり、「自分で努力して」手に入れることが大事だと教えられてきた。だから、わたしも、はじめてアフリカで、ねだりにあったとき、いったいどうふるまえばいいのか、わからなかった。ましてや、自分からねだる方法など、さっぱりわからなかった。

だけど、ブッシュマンの子どもたちは、幼い頃から、ちゃんとねだることを、教え込まれる。「あら、お砂糖がないわ」お母さんは、すぐさま子どもたちを呼ぶ。「いい?おばさんのところへいって、お砂糖をもらってきなさい。うちにはお砂糖がないから、お茶が飲めないっていうのよ。」ねだり初心者の小さな子どもたちは、泣きそうになりながらでかける。ついに言い出せないまま帰ってくることもある。ねだることは、本当は大人にだって、簡単ではない。タイミングもむつかしいし、ちょっとした勇気も必要だ。

そんな経験からか、子どもたちでも、ねだられたときは、なるべくそれにこたえようとする。たったひとつしかない飴玉でも、ビスケットでも、ねだられて、それを無視することはない。たとえ、それが、あまりよく知らない人でも、「ちょうだい」といわれたら、半分に割って、手渡す。ときに、その姿は、潔くさえ見える。

人にねだることは、生きていくうえで、とても大切なことだと、おばあちゃんたちはいう。隣で食べている人がいるのに、その横でがんばって働いて、自分でお金を稼いで、それから食べ物を買いにいくのかい?そんなことをしている間に、おなかがすいちゃうじゃないか、とおばあちゃんたちはおかしそうに笑う。ちゃんとねだって、一緒に食べて、それから働きにいけばいい。食べ物が手に入ったら、今度は、あんたが分けてあげればいいんだよ。

人には思う存分、頼って生きていけばいい。頼られたら、惜しみなく助けてあげればいい。この世界で生きていくために、なによりも確実で、信頼できるのは、お金でも、モノでも、制度でもない。いま、目の前にいる人なのだ。それがたとえ見知らぬ人でも、どこか遠い国からかきた得体の知れないわたしでも。少女は、そうやって、人を信じられる世界に生まれ、おばあちゃんも、そうやって、人を信じて生きてきた。

さしだされた少女の手に、わたしは、最後に食べようと思ってとっておいた、一番大きな肉をわたすことにした。少女のねだりはあんなに褒められたけど、わたしのこの決断は、誰から注目もされない。ねだられたら、わけてあげる。それは、あまりにも、あたりまえのことなのだ。手渡された肉をさっそく口に運ぶ少女は、とても堂々としていた。