煙草の煙と小鳥の骨(ボツワナ)

関口 慶太郎

カラハリの暑い昼には多くのひとびとが長めの休憩をとる。ある日、午前中の戸別訪問調査を終え、昼食を取りおえてしばらく経ったときのことである。助手とその家族は一番涼しい小屋の中で休憩している。空気が乾燥しているだけ日本の夏よりはましだと思うが、日差しは強く刺すように痛い。テントや車の中のように風通しの悪いところにはとてもいられないので、私はひとり庭に残り、木陰に椅子を置いてぼんやりとタバコをふかしていた。

こういう時によくやってくるグイ・ブッシュマンの青年がいた。私が滞在していた家族の家の裏手に住む青年だ。本に書いてあるとおりにブッシュマンどうしの訪問時のやり方で、さりげなく近づいてきて、遠巻きに座り何となく空間を共有しつつ挨拶をされるのを待っているときもあれば、笑顔で向こうから挨拶を投げかけてくることもあった。タバコ目当てで来ているのは明白に思えたが、どこか憎めない男だったので、袋詰めの煙草の葉を分けたり吸いさしの巻きたばこをあげたりしていた。ただ、その日は事情が違った。私は午前中に行った調査で、いつものようにお礼にひとつかみのタバコの葉をあげようと袋詰めの煙草の葉を差し出したとき、袋ごと持っていこうとした女性と口論になり、虫の居所が悪かったのだ。

その日、青年は向こうから挨拶してくるやりかたで近づいてきた。論文の知識で頭でっかちになっていた私はその時点ですこしいらだった。どうせ今日も煙草をもらいに来たのだろう。こちらには何もくれないくせに煙草を求めてくるのだろう。せめて挨拶されるのを待つべきだろう。私は彼のあいさつを無視して一瞥もくれずに煙草を吸い続けた。火が根元まで差し掛かったころ、青年が「おれは煙草を持っていない」と言ってきた。さらに無視し続けると、煙草を吸う身振りをして要求してきた。ついに私は英語で、煙草をもらえることを当然と思うな、用もないのに近寄ってくるな、といった旨を怒鳴りつけてしまった。なんと高圧的な振る舞いをしたものだろうか。私の言葉自体を理解したのかはわからないが、どうやら煙草がもらえないということと私が怒っていることは彼に伝わったのであろう、青年は戸惑ったようにはにかみながら去っていった。去り際に見せた表情はいかにも寂しげに見え、少し良心がとがめた。

私は元気がある日の昼休みには狩猟遊びに出かけることもあった。子どもたちが作るような小さな弓矢を作ったり、友人のトワシエに作ってもらったスリングショットを携えて小鳥や地リスを狙って歩き回ったりした。子供たちが狩猟の練習にする遊びだと本で読んだことがあったので、これができたらカラハリの子供くらいにはなれるかと思いつつ自分なりに本気で取り組んでいた。しかし結果は惨憺たるもので、ほとんどの場合獲物の射程圏内に近づくことすらできない。ようやく近くまで寄ったときでも狙いを定めているあいだに逃げ出されてしまった。悔しいので、せめて獲物がもといた場所に矢をとばしてやろうと狙いを定めて矢を放つのだが、意に反して矢はてんで的外れの方向に飛んでいき砂に突き刺さるのだった。

また別の日、滞在している家のお隣に住む一家のまだ小さい末っ子が、親に作ってもらったスリングショットを携えて私の「狩猟行」についてきた。私たちは獲物を探して集落のはずれを歩き回った。はじめ私はその子と一緒に歩いていたが、鳥を見つけるとそれぞれ別々に追いかけまわし、しばらく夢中に駆け回ったのちにお互いがいる場所がわからなくなった。

はじめてカラハリを訪れたとき、私は散歩で少し遠出をし、自分の位置がまったくわからなくなり迷子になってしまったことがある。拠点としていた場所からそう遠くには来ていないはずなのに、近道をしようと轍をはずれてしばらく歩いたところ、見通しのきかない灌木の中で向かうべき方角の見当すらつかなくなってしまったのだ。

途方に暮れてしばらく歩いていると、少し開けた場所で子供たちが遊んでいるところに出くわした。片言のグイ語と英語と身振りで日本人研究者の拠点に行きたい旨をなんとか伝えると、子供たちが先導してくれてほどなくして帰り着くことができた。私には途方もない迷宮に思えたあの場所は、かれらにとっては遊びまわる庭のようなものだった。

話がそれたが、上記の経験があった私は、少年には自分より土地勘があることを確信していたので、ひとり家を目指して帰ることにした。私の方が先に帰り着き、一服していると、スズメほどの大きさの小鳥を持って少年が帰ってきた。少年は数人の大人と一緒に木陰に座っていた母親のもとへ行き、小鳥を手渡した。母親は手慣れた手つきで羽毛をむしると、たき火の跡を少し掘り、灰の中で小鳥を蒸し焼きにした。

私は、とても興味深かったので輪の近くで椅子に座ってみていた。すると、少年が焼きあがった小鳥の肉をちぎって一切れ私に分けてくれた。私が物欲しそうな顔をしていたせいなのかもしれないが、あんなに小さな子供があんなに小さい獲物の一部を分けてくれたことを私はとてもうれしく思った。肉などほとんどついておらず骨だけのようなものだったが、大事な飴玉のように私は骨を味わった。少年は特に特別なことをした風でもなく、骨までバリバリとうまそうに小鳥を食べていた。

生まれ育った文化が違えば、当たり前ととらえる物事、価値観が大きく違ってくる。カラハリにおいて、何かを持っている者が身近な人間とともにいるときには、その所有物は当たり前であるかのように共有される。分けることが規範であるかどうかはさておき、分け与える側も相伴にあずかる側もそれが当たり前のようにふるまうのである。

このふたつの出来事を関連して思い出したのは日本に帰国して最後の渡航から2年が過ぎたある日だった。カラハリでは小さい子供が当たり前にしていたことを私はできなかったのだ。

青年が分け前を受け取ることを当然のように要求してきたことに対して私は腹を立て、ついに怒りをぶつけてしまった。おそらく青年は私が吸っていた煙草は当然最後には自分に与えられる、最悪でも吸う余地を残して砂に捨て去られることを期待していたのだろう。しかしどうやら私が最後まで吸いきるようであることを見て取り、「おいおい、話がちがうじゃないか」と抗議をしてきたのだろう。また、そこで私が「おやこれは失礼、うっかりしていたよ」と煙草の残りを分け与えることを期待していたのかもしれない。去り際に青年が見せたきまり悪そうな笑顔には、拒絶された悲しみというよりも、期待していたやり取りが正常に執り行われなかったことに対する戸惑いが含まれていたのではないかと思う。

平等主義や、互酬性などの観点から見れば、分配は将来自分が物を得られなくなった時に分け前をもらうために行われていると考えられる。しかし、現在の定住地の状況を鑑みるに、食料や現金収入へのアクセスがあるひとは、配給、賃労働、年金などの性質上、継続してそれを持ちつづける。一方で、アクセスがないひとが新たにそれらを得ることは容易ではない。このような状況において分配が行われる理由は互酬性からみえるような理由ではなく、むしろ現在を共有し、今後も継続して人間関係を持ち続けるだろう近隣の住民からの妬みを避けるためだと考えられるのではないだろうか。もしそうだとすると、滞在の期間が決まっており、文化的背景を異にする私の振る舞いは青年からするととても異質なものに感じられたことだろう。

ちなみに青年は私が煙草をあげなかった日から数日の間を空けて、今度は夕食時に、助手の家族もいるときにふたたび訪問してきた。私はこの前はすまなかったと謝りながら煙草の葉を心もち普段より多めにあげた。その瞬間かれはにわかに「持つ者」になった。当然一緒に火を囲んでいた大人達には青年から煙草の葉が分け与えられた。結局青年の取り分はむしろ普段よりも少なくなってしまったかもしれない。その後も青年は何事もなかったかのように滞在期間中に私を何度も訪れてきては煙草を受け取り、旨そうに吸いながら去っていくのだった。