「明日は誰が売る?」(ザンビア)

村尾 るみこ

日本でもコンビニやカフェ、ファーストフード店で売られている、甘い飲み物、甘いデザートとして有名な、タピオカ。タピオカは英語でキャッサバとよばれる熱帯作物で、私たちはいわゆるその根っこを食べている。

相対的にみて、キャッサバはアジアで産業用、つまり工業用に消費される割合が高いが、アフリカでは食用が主流だ。ザンビア西部でも焼畑で栽培され、主食の材料とされるほか、軽食として販売するなど現金収入源となっている。なかでも私がお世話になっている南西部の村の人が売るものにはキャッサバの軽食で、独特の臭みのある「ロンボ」がある。ロンボは水につけて発酵した状態のものをそのままゆでたものなので、そのにおいがでてしまう。おそらく初めて食べる人は少なからずキョーレツな印象をもつと思う。

売り子となるのは村の若い女性と子供たちだ。
村の人は男女それぞれ個人で焼畑を経営していて、それぞれの畑からキャッサバが収穫されてくる。収穫されたキャッサバは、世帯の人と一緒に消費される。そうして小さな焼畑しかもたない人も、大きな焼畑からとれるキャッサバを、そこで共に消費することができるのだ。またキャッサバはしばしば、実際に焼畑を耕している人ではなく、その人の親族や知人が売ることがある。売ることを計画するのは、その売上金を最も必要とする人であり、収穫の時点ではだれが売るのか、「おおよそ」のアテをつけて収穫する。

ロンボ売りの様子。桶の中のものがロンボ。

 

難しいのは、親族のなかで売り子となる若い女性のアテがはずれるときだ。
ロンボとなったキャッサバは公設市場で売るのであるが、10キロの道のりを2、30キロと重いロンボを頭にのせて村から歩き、市場で朝から晩まで座って客をまつのはなかなか大変である。一般に年配の女性は、ロンボ売りを請け負うことはない。とはいえ、力ある若い女性にとってみれば、ロンボの販売がいくら華やかな町に出る魅力的な機会であっても、誰にだっていやな時がある。

ある日、大家族で住む村のお母さんがおかずを買うお金を稼ごうと、キャッサバを収穫しロンボをつくった。せっかく準備したロンボを売りにいくはずだった孫娘が、焼畑の除草で疲れているからやっぱりいかない、と言い出した。お母さんはまたかとため息をつき、しばらくその孫娘をなだめていたが、やがて引き下がってしまった。彼女はもう一度家族のだれかに引き受けてもらうのにあれこれ策を練る。すぐ隣の家に住む二女は前日に市場に出たばかりで、少し先に住む三女はお酒をのみにいってしまっている。四女は出産したばかりでまだ休養が必要だし・・・。しばらく片づけをしていたお母さんは、はっと何かに気づき8歳の男の子をよんだ。すぐにその男の子は、どこかへ走っていった。

事の顛末を知ったのは、夕暮れ時だった。1キロほど先にある、お母さんの二男が居候する、二男の彼女が訪ねてきたのだ。お母さんは二男の彼女に白羽の矢をたてて、男の子を使いにだしたのだ。二男の彼女は、翌早朝にお母さんの家に立ち寄り、ロンボを頭にずんずんと市場へでかけていった。日が落ちて彼女がかえってくると、柏手を打ってお母さんに売上金を渡した。その日の売り上げは日本円で約500円。そのうちの80円ほどを、お母さんは二男の彼女に「お礼」に渡した。お母さんは「ほんとはあげなくてもいいのよ、あの娘はやがて、うちのお嫁さんとして隣に越してくるかもしれないのだから。二男が居候するってそういうことよ。でも今晩のおかずがないというから、あれで買うように言って、渡したの」

普段よくお母さんが頼っている「お隣の」親族や親しい知人ばかりでなく、二男の彼女まで引っ張り出して事をすませたお母さんの「機転」は、大家族や村の人をもやや呆れさせ、またある種の敬意もかったようだ。しかしこれまでのところ、村のなかで、男親、しかも母親が未来のお嫁さんを結婚の前によびつけて使いに出すのは、なかなか見られるものでもなく、いろいろやり手として知られるお母さんならではの行動であったと、私は理解している。

長く村に滞在していると、当たり前にすまされていることの中に、「例外」的におこることをどうとらえ、村の日常のなかでどのように位置づけていいかわからないことがある。へんなの、と感じて忘れてしまうような些細なことも、少なくはないと思う。それでも一方で、大きな焼畑をもつ人、焼畑が小さい人、年老いた人、若い人、忙しい人、さぼりたい人、さらには足をけがした人や病気の人まで混ざり合って住むなかで、ロンボを売り、生活がまわっているんだと感じる機会であることに変わりはない。