近藤 史
胸元に男性や女性の顔写真を配したポロシャツ。タンザニアの農村で見かけたこのシャツは、有名人のグッズだろうか。それとも選挙立候補者の後援会ユニフォーム?丸くトリミングされた写真の周囲に文字が書かれている。左のシャツから順に読んでみよう。
「TUTAKUMBUKA DAIMA / BABA YETU YAHAYA ALMASI MTEWELE」
(ずっと忘れない。私たちの父 ヤハヤ・アルマーシ・ムテウェレ)
「WANA KIFANYA TUTAKUKUMBUKA DAIMA / MAMA ITELI」
(私たちキファニャ村の住民はいつまでもあなたのことを覚えています、ママ・イテリー)
よく見ると数字も添えられている。写真の人物の生没年だ。
「KUZ 29-03-1946, KUF 07-04-1999」(生 1946年3月29日、没 1999年4月7日)
「1948 – 2022」(1948年 – 2022年)
実はこのポロシャツ、2023年夏にンジョンベ州のある農村でおこなわれた2つの葬送儀礼に際して、親族がお揃いで身にまとったものだ。写真は、故人の生前の姿から遺族が思い出の一枚を選んだという。左のシャツの男性は、若いうちに村を出て、出稼ぎ先のイリンガ州で家族をつくった。そこで1999年に客死して埋葬されたが、「いつか自分の亡骸を故郷の村に戻してほしい」と遺言を残していた。当時は幼かった子どもたちが大人になり、お金を出しあって、2023年にようやく遺言どおり故郷に墓を建てることができた。右のシャツの女性は、20年以上にわたって村じゅうの酒飲みたちから慕われた、村営酒場の肝っ玉女将だ。仕入れたポンベ(穀物のドブロク)やウランジ(竹の樹液を自然発酵させた酒)の発酵具合を見極めるだけでなく、一人ひとりの好みを細かく覚えていて、たまにしか顔をださない私にも「今日はあんたの好きな味の酒が入っているよ」とか、「今日はダメだね、また明日おいで」と声をかけてくれた。
この地に暮らすベナの人たちは、もともと祖霊を信仰の対象としてきた。死者は、ただしく埋葬・追悼されることで、祖霊となり生者を守護してくれる存在になる。植民地期にキリスト教(ローマン・カトリック)への改宗がすすめられたが、現在も祖霊信仰は彼らの精神世界に息づいている。そのことは、2段階にわけておこなわれる葬送儀礼によく表れている。1段階目は、死の直後におこなわれる埋葬と葬儀だ。これはキリスト教方式で司祭がミサを執りおこない、亡骸を木棺に納めて土葬する。2段階目は、人が亡くなり1年から数年(ときには数十年)たった後に親族があつまり、長老の差配でおこなう追悼と相続の儀礼「マプウェラ」だ。まず長老と直系の遺族が故人に地酒と家畜を捧げ、供物の内臓占いで故人の許しを得たと判断されると、形見分けをおこなう。他の親族や近隣住民が見守るなかで遺品の一部(農具や衣類、日用品)を並べて、遺された配偶者と子どもたちが一つずつ受け取っていく。儀礼のおわりには、参列者にたっぷりの食事と地酒がふるまわれ、みんなで夜通し踊る。一連の儀礼を経なければ故人の魂は祖霊の仲間入りをできず、理由のないまま長期にわたって儀礼をしないでいると故人の魂が荒ぶり一族に不幸をもたらすと信じられている。
この村では近年、林業景気の興隆にともない結婚式や堅信式などの儀礼を盛大におこなうようになっていて、マプウェラもその例にもれない。もっとも顕著なのは、立派な墓を建てることだ。古くは埋葬時に土を盛っただけの墓であったが、植民地期にキリスト教が導入されると、マプウェラを実施するタイミングにあわせて、土饅頭をレンガで覆ってセメントで固めるようになった。そのスタイルは半世紀あまり続いたが、人びとの懐に余裕ができた2010年頃から、セメントにタイルを貼り、金属製の装飾的な墓標をたてるようになった。村内の家具工房が溶接機や電動カッターを導入して金属加工を手がけるようになったことも一因だろう。さらに最近は、都市部の工房に発注して、人工大理石に遺影を焼き付け、故人へのメッセージを刻んだ墓標を取り寄せることもある。
変化はお墓だけにとどまらない。参列者にふるまう食事の内容が豪華になった。太鼓のかわりに巨大スピーカーで大音量の音楽を流して踊ったり、形見分けにカトリックの様式を取り入れたりすることもある。例えば、神父と聖歌隊を呼んで盛大にミサを執りおこない(それなりの謝礼金がかかる)、神父が故人の持ち物へ聖水と地酒をふりかけた後に、長老が形見分けをはじめる。その後、参列者ともども墓地へ移動して、建立したお墓をお披露目し、神父に聖句と聖水をかけてもらう、といった具合だ。
もっとも新しい変化は、故人の親族が揃いの服を身にまとうようになったことだ。ずっとお世話になっている家のおばあちゃんが2017年に亡くなり翌年に実施したマプウェラでは、故人の娘・息子の嫁・孫娘たちが揃いのワンピースを着用し、私にもそれが与えられた。以前から結婚式に参列する新婦の友人達が揃いの布でワンピースを仕立てたり、住民グループが活動ユニフォームとして揃いの布をまとう例はよく見かけてきたが、葬送儀礼でこうしたパフォーマンスをみるのは初めてだった。
その後、COVID19パンデミックの影響で久しぶりに訪れた2023年の村では、前述した写真つきのポロシャツが登場していた。マプウェラの日は早朝から、形見分けをおこなう場所(故人の家または近しい親族の家)に、親族達が続々とあつまってくる。普段着のままの長老たちと、各地から参集して揃いのシャツを着た故人の子どもたちが一堂に会して、自己紹介と握手を交わしていた。形見分けの直前には、大勢の村びとが見守るなかで長老がマイクをとり、遺族の続柄と名前、居住地、職業などを一人ずつ紹介していった。近年、就学や就労を機に村を出て移住先で家庭をもつケースが増え、母村とあまり交流をもたない者も多くなっている。お揃いの服を着て故人をおくることは、(とくに父系リネージを単位とした)親族の結束と連帯を意識化し、それが健在であることを親族の内外に表明するため必要なのかもしれない。