「藪」に見えていた畑 -「食べる」

井上真悠子

生まれも育ちも大阪の市街地だった私は、植物や農業とはあまり縁がない生活だった。祖父が北部の山に畑を持っていたので、幼い頃は何度か祖父の畑に芋掘りに行ったことがあるが、私が見た景色は、せいぜい、フェンスで囲まれた畑の畝で育つ野菜、広い田んぼ一面に咲くレンゲソウ、くらいだった。

時が経ち、大学二年生の時に初めてタンザニアを訪れた際、ダルエスサラームやザンジバルの都市近郊の景色を見た当時の私の感想は、「わあ、なんだか『自然』が豊かだなあ?」だった。住宅地っぽいところでも、あっちにもこっちにも「藪」があるなあ。色んなデカい草が、ぼうぼうに生えてるなあ…と。

しかしその後、大学院に進学し、アフリカ各地の農業の話や植物の話を多少なりとも聞きかじり、そして再びタンザニアの地を訪れてみると、以前とは全く違う景色が見えてきた。学部生の時の私には「藪」にしか見えなかった「住宅地のあちこちにぼうぼうに生えているデカい草」、それらは「食べ物」だったのだ。

写真①「住宅地のあちこちにぼうぼうに生えているデカい草」

「庭畑」という言葉も「混作」という言葉も知らなかった時は、フェンスも畝もなく、整地や手入れもされているようには見えない、一種類がたくさん育てられているわけでもないそれを、私は「藪」としか認識できなかった。だが私がわからなかっただけで、実はそこに生えていた「デカい草」はキャッサバとサトウキビで、その辺に生えている「デカい木」は、マンゴーの木だった。それらが「食べ物」なのだと気づくと、それらを利用している人間の存在も見えてくる。ここの人たちはこれらを適宜収穫して食べているんだなと思うと、「藪」だった空間から、急に「人間の生活」の匂いがしてきた気がした。

今年の二月、コロナ禍を経て四年ぶりにザンジバルを訪れると、毎回行くたびにお世話になっている家の長男が「畑(シャンバ)を見せたい」と言ってきた。二年前に畑を買って、色々育てているらしいのだ。

二人でバイクに乗ってストーンタウンを出て、20kmほど郊外に出たあたり。道路から外れて、バイクはそのまま藪の中をどんどん進んで行く。木々が生い茂る林の中をしばらく進んだところで、バイクを下ろされた。「ここからは歩いて行くの?」と聞くと、「ん?もう着いてるよ。ここが、俺の畑だよ。」

写真② 長男の「畑」

「ほら、これ、キャッサバでしょ?ココヤシも植えてるよ。それはクローブ。これはアボカド。これはオレンジ。あっちにフェネシ(ジャックフルーツ)の木もあるよ、ほら、もう実がなってる。」

長男に言われて、自分が立っている「林」をよく見渡すと、そこは一面、「食べ物」だった。足下を見ると、小さなココヤシの苗が植えられたばかりらしく、つやつやした緑色の若い葉っぱが地面からニョキッと生えていた。

写真③ 植えられたばかりのココヤシの苗

「ショキショキ(ランブータン)は俺が好きだから、多めに植えてるんだ。今はまだ実が青いけど、もう少ししたら食べられるよ。」そう言うと、長男はショキショキの青い実を見せてくれた。そういえば10年以上前、彼がまだ10代で、私も長期調査中の大学院生で、同じ家で暮らしていた頃、彼はよく、どこからともなくショキショキを持って帰っては、私に分けてくれていたなと思い出した。ショキショキはザンジバルでは季節になると出回るメジャーな果物だけれども、しょっちゅう長男が持って帰っては分けてくれるので、私は自分では買ったことがなかったくらいだ。家の軒先で、小さな妹たちと並んで座って、長男からもらったショキショキをみんなでよく食べていた。

写真④ 熟れたショキショキ(ランブータン)

写真⑤ 長男の畑のまだ青いショキショキの実

そういえば数日前にダルエスサラーム郊外の知人宅にお邪魔したときは、庭畑にトウモロコシも数本生えていたなあ、と思い出した私は、長男に「トウモロコシは育てないの?」と聞いてみた。すると長男は、「トウモロコシは、人間が水をあげないといけないから、ここには植えてないんだよ。」と答えた。つまり、私たちが立っているこの「畑」は、水やりをする必要がないのだと言う。「この畑、二年くらい経つけど、雨水だけで、こうなったよ。」

「畑」とは、なんなのか。20年近く前、「藪」を「畑」と認識できたとき、私の世界は確実に広がった気がした。知ることで、世界の解像度が上がったような気がした。しかし20年経った今でも、私はまだまだ狭義の「畑」の先入観にとらわれ続けていたんだなあ、と、改めて思い知らされた。林のずっと奥にある、私にはどこからどこまでが彼の畑なのか、その境目もわからない、雨水だけで食べ物がグングン育つ、長男の畑。やっぱり、とても「豊か」な土地だなあ・・・と、初めてタンザニアを訪れた時と同じような感想が、今また、改めて頭にうかんでしまった。

写真⑥ キサンヴ(左下緑色)

この時期はちょうどキャッサバの葉が美味しいシーズンだったのか、ダルエスサラーム郊外の知人宅でも、ザンジバルの長男宅でも、キャッサバの葉の料理「キサンヴ」をご馳走になった。ザンジバルを離れる日には、「お昼ご飯食べていく時間ないでしょ、途中でこれを食べなさい!」と、ママがキャッサバ芋と小魚のココナッツミルク煮込みをタッパーに入れて持たせて見送ってくれた。日々、人間が生活していく上で欠かせない、食べ物。いつもみんなで料理して食べている、食べ物。そして、それら食べ物を育てている、畑。私はまだまだ、知らないことばかりだなあ。空港に向かう長男の車の助手席でキャッサバ弁当を食べながら、私はもっとこの人たちのことをよく知りたいな、と、改めて初心に返った20年目のタンザニア滞在だった。

写真⑦ キャッサバ芋とダガーのココナッツミルク煮込み弁当