砂糖菓子のような不思議な香り(タンザニア)

井上真悠子

アフリカ東部インド洋に浮かぶ島・ザンジバルの街は、いつもなんだか甘い匂いがする。すれ違う女性たちの真っ黒な服から、商店街のお店から、民家から、砂糖菓子のような甘い匂いがただよってくる。

その正体は、「ウディ」や「ウバニ」と呼ばれるお香である。香木にも色々種類があるようだが、中でも特に乳香が好まれているようだ。しかし、乳香だけでこんな砂糖菓子のような匂いがするのだろうか?と不思議に思い、商店街のお香屋さんに尋ねてみたところ、「ああ、砂糖も入ってるのよ。焚いたとき、いい匂いがするでしょ?」とのこと。砂糖そのものも一緒に調合された、ブレンド香らしい。赤く熾った炭に一掴み、その砂糖入りのお香を落として焚いた甘い煙を吸うと、鼻の奥が少しツンとする。

お香は、木曜日や金曜日などムスリムにとって特別な日に焚かれることも多いが、それ以外にも、気が向いたときに服に焚き染めてみたり、体調が悪いときに寝室で焚いたりもする。私がマラリアで寝込んでいたときも、家の長女が部屋にお香を持ってきて焚いてくれた。「痛いところに煙をあてると、痛みがやわらぐよ」と言われ、頭やお腹に、甘くツンとする煙をあててみる。なんだか神社の厄除けみたいだなあと思いながら。香煙には、ヒーリングや鎮静効果があるのだろうか。

子供の出生祝いなど様々な宗教的行事の際にも、必ずお香が焚かれる

ある日、当時17歳で嫁入り前の学生だった次女が、いつもより少し遅くに帰宅した。どうも、隠れてこっそり付き合っていたボーイフレンドとデートしていて、うっかり帰宅が遅くなったらしい。それを知ったお父さんは激怒し、ものすごい形相で怒鳴りながら次女をホウキの柄で打った。親に怒られるときにホウキで殴られるというのは日常的によくあることなので、子供たちも慣れたもので普段はそれほどこたえないのだが、この日はお父さんの尋常ではない形相に、さすがに「本気で怒られている!」と自覚したのか、いつもならホウキ程度では泣かない次女が、震え上がりながら泣いて謝っていた。

ひとしきり怒られ、お父さんの怒りが少し落ち着いた後、お母さんがそっと下の妹をお遣いに出した。「ご近所さんから、赤く熾った炭を少し分けてもらってきなさい」と。そして上階の女部屋で震えて泣きじゃくっている次女を囲み、女たちだけでお香を焚きだした。お父さんにこっぴどく叱られた娘をさすがに可哀想だと思ったのか、いつもは娘達に対してとても厳しいお母さんも、この日は全く怒らずに、優しく娘を慰めた。

お香の煙を、泣きじゃくる次女の頭に、顔に、全身に焚き染める。甘く、少しツンとする砂糖菓子のような不思議な香りに、次女も周りの女性たちも、少しずつうっとりと落ち着いてくる。嫌なことも全部忘れてしまうような、麻酔がかかったような不思議な感覚で女性たちがぼんやりしていたとき、女部屋の入口に突然、ヒョイと長男が顔を覗かせた。

「ギャーーーー!!」

その場にいた女性全員が、パニックを起こしたかのような、すさまじい悲鳴をあげた。その場にいた私も、自分でも驚くような叫び声をあげていた。親戚のお姉ちゃんは、悲鳴だけでなく全身痙攣まで起こして倒れてしまった。妹を心配して顔を出しただけなのに女性全員からすさまじい悲鳴をあげられた長男は、驚き、慌てて女部屋から離れた。

理由はよくわからないが、ともかくこの甘いお香の煙、もしくは煙を女性ばかりで囲んで慰め合うという状況には、女性たちの精神を癒して落ち着かせるとともに、なんだか不思議な感覚に酔わせる効果もあるようだった。このお香は、一般家庭やイスラームの宗教的行事のほか、呪術師が憑依儀礼をおこなう際にもよく焚かれるものである。はじめに憑代となる人の鼻先に香炉をやり、至近距離で煙を嗅がせると、しだいに憑代は恍惚状態になり、身体が痙攣し、憑依がはじまるのだ。

このお香のベースになっている乳香は、古来より様々な宗教で「神に捧げる香」とされ、また、鎮痛・抗菌・血液循環・筋肉を緩めるなどの効果をもつ生薬だとも言われている。どこまでどういった科学的根拠があるのかはわからないが、少しツンとする砂糖菓子のようなこの香りは、少なくともザンジバルの人々にとって日常の香りであり、彼らの精神を癒し、酔わせ、支えてくれている香りなのだろう。ザンジバルの街にはいつもふんわりと、甘い砂糖菓子のような不思議な香りがただよっている。

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日本とアフリカに暮らす人びとが、それぞれの生き方や社会のあり方を見直すきっかけをつくるNPO法人「アフリック・アフリカ」です。