牛飼いの足仕事を支えるタイヤサンダル(タンザニア)

宮木 和

白い砂地につよい日差しが照りつける。サバンナをすこし歩いただけで頭がぼうっとしてきて、足が前に出なくなってくる。休むのにちょうどよさそうな木陰を探して、地べたに腰掛ける。やたらと体温があがっていることに気づいて、ほとぼりが少し冷めるのをただ待つ。

ぼくは幾度となくこうしたことを繰り返したが、いっこうに長い距離を歩けるようにはならなかった。この5年間、東アフリカ・タンザニアの辺境に通って、ダトーガという牛飼いの人たちの社会にお邪魔しつつフィールドワークをしてきた。牛や山羊、羊、ロバの牧畜を生活の中心におく地域だ。

彼らは、限られた材料から風通しがよく快適な家を作ったり、プラスチックのビーズや金属で目をみはる装飾品を作るし、牧畜を支えるいろいろな『手仕事』をしている。しかしその一方で、ぼくが息をのんで見ていたのは、『足仕事』のためにはるか遠くを目指して野へ駆け出していく青年たちの姿だった。ここでは、彼らの『足仕事』とそれを支えるタイヤサンダル作りという『手仕事』を紹介したい。

牛の放牧

『足仕事』のキホンは、「放牧する」「探す」「運ぶ」だ。これらの仕事は、家畜に関する知識と経験や、その土地の植生や地理についての知識によって成り立っている。足仕事へと向かう青年たちの印象的な姿が、いくつも思い出される。

♦「放牧する」――20歳ほどの青年ギティヤイダ
長くつづいた乾期がようやく終わろうとしていたある日の朝、この時期はじめての土砂降りだった。青年ギティヤイダは、雨のなかを牛放牧に出かけていく。いつもどおりにうすっぺらい一枚布を羽織っているだけだ。ぼくも彼につづいた。夕方まで放牧に同行するつもりだったから、ぼくの方は重装備で、傘をもちかっぱを着ていた。雨はますます強くなっていて、ぼくは絶望的な気分だった。
「雨、めちゃめちゃひどいな!」
ぼくは無理にトーンをあげて言った。ギティヤイダは後ろに振り向いてこう返した。
「俺たちにとっては(この雨が)喜びさ!」
白い目をぎらっと輝かせて、悪だくみをしているような顔でニヤリと笑ったのが彼らしかった。彼はさらにスピードを増して歩いていく。この雨が草を成長させ、それを牛が食べて太っていくことを予感しているのだろう。ぼくはついて行くのをあきらめて、彼に傘とかっぱを薦めた。けれど、彼は要らないと言う。びしょ濡れになった状態で一日過ごすことも、彼にとっては大きな問題ではないのだ。

『足仕事』を支えるのは体力的なタフさだけではない。放牧の経験をもとに、家畜が迷ってしまった場合にどのあたりにいるか、といった予測をたてることも必要だ。

♦「探す」――30歳手前の青年ギニャンブ
陽が沈みあたりが暗くなりはじめたころ、山羊の放牧群が帰った。放牧していた少女は、道中で山羊を何頭か見失ってしまったと言う。少女の兄ギニャンブは、妹から詳しい話を聞く。もう夜になるが、すぐに探しに行くという。ぼくは彼に、愛用している懐中電灯を渡した。彼は「ありがとう」と言って受け取ったけれど、それがなくても薄い月明かりを頼りにして山羊を見つけるだろう。杖だけをもってさっそうと野へかけていった。3時間ほどたって、彼は山羊を家まで連れ帰った。

家畜や穀物、水といったものを運ぶのも重要な仕事だ。

♦「運ぶ」――20歳過ぎの青年ムラージグ
このときの彼の仕事は、家畜市へ牛5頭を連れて行くことだった。50kmもの道のりを、2日かけて徒歩で行く。朝、男5人がかりで400頭の牛群から、市へ連れて行く5頭を選び出して外へ出した。5頭は、ふだんは大きな群れにしたがって歩いているから、必死に群れに戻りたがる。もうここに帰ることはないと察したのかもしれない。家から出たあとも気が立っていて、しきりに、男たちの誘導に従わずに道から外れて引き返そうとしていた。先が思いやられるが、牛が少し落ち着いてきたところで、みなは牛を連れて行く仕事をムラージグひとりに任せた。

牛を連れて家畜市へ向かって出発したムラージグ(市へ向かったのは写真の6頭のうち5頭)

このほかに、いろいろな緊急事態のときに近所の男たちが駆けつける相互扶助システムがある。男は、近隣住人からも『足仕事』を担うことを期待されていて、幼い子どもが行方不明のときに探しまわったり、家から遠く離れたところで牛がケガをしたときには、家まで担いで運ぶこともある。また、近隣に住む集団とのあいだで争いが起きたときに駆けつけることも、重要な役割だ。

ぼくは、放牧をのぞいてこうした『足仕事』には参加しない。足手まといになるとわかっているから、野へ出ていく青年をただ見送るだけだ。彼らの背中には、道中で起こるいろいろな問題にもひとりで対処できるという自信が見える。それが格好良かった。

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野を駆けるダトーガの『足仕事』を支えるのは、彼らの『手仕事』だ。古タイヤから取ったゴムの材料をマーケットで買ってきて、タイヤサンダルを作っている(写真3)。この地域には、えげつない、鋭くつよいトゲをもつ木の枝がたくさん落ちているのだが、このサンダルの靴底は分厚くてどんなトゲも刺さらない。そのうえとても頑丈でヘビーユースにも耐える。

サンダルをつくってくれたゲーレング

ぼく自身、フィールドではタイヤサンダルを履いた。ぼくにとって兄のような存在であるゲーレングが、いつも妻や子どもに作るのと同じように作ってくれた(写真4)。靴底の形やゴムヒモの長さを入念に調整する、オーダーメイドの品である。このサンダルを履くだけで、みなのように力強く歩ける気がした。ほんとうは、ぼくは『足仕事』をしないから頑丈なサンダルは要らないのだけれど。

ぼく(左)と友人(右)のサンダル

ぼくはもうじき研究活動を終えるが、今後も2、3年に一度はこの土地を訪れて、みなに会いたい。年々、スワヒリ語を忘れていって、コミュニケーションをとるのが難しくなっていくかもしれない。それでも一度、タイヤサンダルを履いてサバンナに立てば、ハードな『足仕事』をこなす彼らとどこかでつながることができると信じている。