試験(マダガスカル)

飯田 優美

朝4時、真っ暗な部屋の中で、ジリジリと目ざまし時計がなった。数人が起きだす音がする。が、足音はしない。続いて、ガタンガタン、ガガガ、ギイイイイー、ガタン、と戸を開ける音がした。やがてまた、あたりは静かになった。

朝5時すぎ。やはり真っ暗ななか、誰かの名前を小声で呼ぶ声や、身支度をする音がした。

ここは、私立学校の女子寮である。小・中学校に通う女の子たち、約30人が親元を離れてここで暮らしている。寮内での彼女たちの生活は、諸々の家の手伝いから開放された「めぐまれた」ものである。だが、もし、留年、まして中退させられたりしたら、彼女たちはこの生活を続けられない。そして、実家に戻ったら、皆がいろいろなうわさをするだろう。彼女たちは、そうしたもろさをよくしっている。

この日は、期末試験中であった。すなわち、進学か、留年か、中退かを決定付ける日である。そして彼女たちがめぐまれた生活を続けられるかどうかがきまる運命の日でもある。

だから、彼女たちは、毎朝早く起きて試験勉強をしていた。もちろん、彼女たちが勉強するのは朝だけじゃない。前夜もたしか11時くらいまでは電気がついていたように思う。

試験期間中、彼女たちは何彼につけ、ぴりぴりしている。30数人が一斉にぴりぴりしているのだから、寮では、些細なことでもしばしば揉め事の引き金になる。ペンがかけなくなったことに端を発し、「前に○○がペンを使った」などとして口喧嘩がはじまる。「食事のキャッサバが生煮えだったから、おなかがきもちわるい」という訴えから、騒ぎになる。———ペンの不具合や、キャッサバの生煮えなんて、それまでにもよくあったことなのに。

かつて植民地時代には、マダガスカルからフランスの学校へ進学するエリートへの道があった。だが、そんな少数精鋭の時代は露と消え、独立後、学校教育のマス化とともに質も低下した。実際、マダガスカルは旧植民地政府フランスの教育システムをまだ維持しているにもかかわらず、マダガスカルの学歴はもはやフランスでは機能しない。

しかし、マダガスカル国内において、試験の権威が失墜したとは、とうてい思えない。教育の質が陥落したのに、なぜか試験だけは権威をもちつづけ、人々の注目を集めつづけている。

試験が権威をもつのはなぜだろう。きっとそれは、サラリーマンがなぜ給料をもらえるのか、権力者がなぜ権力をもっているのかといった、エリートがエリートである理由の根拠に試験の合格証明書が使われるからだろう。

期末試験も終わりに近づき、寮に、再び和やかな雰囲気がもどってきた。一足先に試験が終わった下級生たちが、まだ試験の終わっていない上級生たちを気遣いながら、静かにおままごとやゴムとびをしている。

夕方。キャッサバがまた生煮えで、夕飯がおあずけになった。子どもたちはかけっこや、おしゃべりなどをしながら、思い思いに、キャッサバが煮えあがるまでの時間をつぶしている。

すると、まだ試験の残っている上級生たちが私に話しかけてきた。自然、試験のはなしになった。そのうち、彼女たちはくちぐちに言った。

「試験はいやだけど、すき」。

この矛盾した表現こそ、彼女たちの本音そのものだと私は思う。

旧植民地政府の残した教育システムは、こんなかたちでこの地に根をはり、育っているようである。