アフリカからのお便り(セネガル・ガンビア、折々のエッセイ)

鈴木 郁乃

西アフリカのセネガルとガンビアで、「海外学術調査事情」の調査をおこなっている鈴木郁乃さんからのお便りです。

 

2004年11月20日(土) ゴレ島(セネガル)

セネガルの首都ダカールから、船で20分ほど行ったところにゴレ島という小さな島があります。ゴレ島は大航海時代からヨーロッパ人が訪れ、特に奴隷貿易の要所として、数多くの奴隷が商品として積み出されていったことで名を知られています。ヨーロッパとの関係が長いこの島は、ヨーロッパ風の建物が建ち並び、まるで地中海の小島といった風情を残しています。

現在、ゴレ島はユネスコの世界遺産にも登録され、セネガルでも有数の観光地となっています。島内には観光客向けのギャラリーやレストラン、みやげ物屋が並び、島に住むほとんどの人が観光業に関わっているようでした。観光客から収入を得ているのは大人たちだけではありません。

ダカールからの船が島の船着場に近づくと、島の子供達が次々と海に飛び込み、泳いで船に近づいていきます。目当ては外国人観光客が投げるコインです。船にいる観光客が海に向かってコインを投げると、子供たちは我先にと海の中に潜ってそのコインを拾い、拾ったコインを自慢げに高く掲げます。この子供達の様子を船の上の客達は楽しそうに写真におさめます。

コインを投げる客たちも、コインを拾う子供たちも、お互いに欲しいものを得ているので、特に不当な取引ではないはずなのですが、まるで池の魚にえさでもやるように水中の子供達にコインを投げて喜ぶ観光客の姿に、私は上手く説明できない居心地の悪さを感じました。子供たちからしてみれば、あれこれ考えてコインを投げない私より、気前よくコインを投げてくれる人々の方がよっぽど親切で仲良くなりたい、と思うだろうなぁということも理解できるのですが、この「割り切れなさ」は何なんでしょう。

 

2004年11月22日(月) セネガルからガンビアへ

ガンビアは海に面している西岸以外は、北、南、東の国境をセネガルと接しています。セネガルからガンビアへは陸路で容易に行けるため、セネガルに暮らす人々やセネガルで研究する人々にとって、ガンビアは最も気軽に行ける「外国」の一つであるといえます。

在セネガルの日本人研究者のアドバイスとガイドブックを頼りに、私は陸路でのガンビア入りを決行しました!フランス語のできない私にとって、心配の種は2つ、ガンビア行きの車にちゃんと乗れるか、と出入国手続きがとどこおりなくできるか、ということでした。でも、車乗り場まではタクシーの運転手さんが、乗り場(ダカールから各地へ向かう車でごった返している)内では物売りの少年が、ガンビア行きの車(8人乗りのタクシー)に乗ったら同乗の人が、という具合にリレー方式で助けてくれました。

特に同じ8人乗りのタクシーに居合わせたンジャエさんは、セネガルの出国手続き、車の乗り換え、ガンビアに入国する際の手続き、フェリーの乗船から、その後のタクシーの手配まで、すっかり私の面倒を見てくれました。ダカールから8時間近く一緒に旅をしたので、別れる時は名残おしいくらいでした。

ところでこのンジャエさんは、セネガルにいる間の車内では私に対してもずっとフランス語を喋っていたのに、ガンビアとの国境を越えるやいなや「僕はガンビアで仕立て屋をしているんだ。家族がダカールにいるから、ときどきこうしてダカールとガンビアを行き来するんだよ。」と上手な英語で話し始めました。わたしはびっくりしたと同時に「郷に入れば郷に従え。公用語ぐらい話せなきゃダメですよ。」と言われているようで、恥ずかしかったです。

ダカールを出発したのが朝の8時半、ガンビアでの滞在先であるファジャラという町に到着したのが午後の4時近く。暑い、長い、土ぼこりまみれの道のりでしたが、親切に見知らぬ外国人を助けてくれた人々のおかげで、無事に着くことができました。

 

2004年11月23日(火) ファジャラのホテルにて

私が現在滞在しているホテルには様々な国の人々が滞在しています。日本人の私の他にはイギリス人、ナイジェリア人、マリ人、セネガル人などなど。

ガンビアの公用語は英語ですが、ガンビアの人々の多くはマンディンカ語(マンディンゴ、マリンケと呼ばれることもある)と、セネガルの広い地域で話されているウォロフ語を話すことができます。そのため、このホテルのガンビア人従業員は私、イギリス人、ナイジェリア人には英語で、マリ人にはマンディンカ語で、セネガル人にはウォロフ語で話をしています。ちなみにマリ人とセネガル人はフランス語で会話をしています。

こうした言語のやりとりを見て(聞いて)いると、アフリカの国境線は言語集団の分布とはまったく関係のないところで引かれたんだなぁ、と身をもって実感できます。

ちなみにマンディンカ語のあいさつは”Sumore”といいます。他にも色々なあいさつがあるようですが、このあいさつはよく耳にします。意味は「ご家族は元気ですか?」というようなものだそうで、「元気です」は”Ibije”だそうです。帰国までにマンディンカ語で自己紹介が出来るレベルに達するよう、がんばります。

注)このエッセイは、「アフリカ便り」の前身である「アフリカ情報」のコーナーに、2003年〜2004年に掲載されたものを再録しました。