現地で同年代の大学生たちと話すと、調査に関係なくても興味深い情報がたくさん集まります。首都ダカールのシェーフ・アンタ・ジョップ大学は、様々な地域から成績優秀な学生が集まっているので、いろんなことを教えてもらっていました。
ある時、学生寮で話していると、お前もムスリムになればいいのに、と言われました。その理由を問うと、
「だって、アッラーに祈れば大統領にだってなれるんだぞ!!」
なかなか気楽なもんだ。では、そもそも君らは大統領になりたいのか、と聞くと、当たり前だろ!金持ちになれるんだぞ!と返ってきます。金持ちか、と不思議に思いながら、じゃあみんな将来はどんな仕事がしたいんだ、と話を振りました。すると先ほどまでの勢いがなくなり、少しずつ大学生たちの顔が曇ってきました。言葉とは裏腹に、現実は厳しいようです。
英文科の学生は、将来は英語を使った仕事がしたいけれど、仕事が見つかるか分からない、と嘆いていました。経済学部の学生は、経済をいくら勉強しても会社に入れるのかわからないし、果たして実践的にその知識が使えるのかとぼやいていました。他の学生も同様に、就職に対する不安を口にしていました。先述の気楽に思える発言は、その不安な感情を抑えるための言葉にも思えました。
これだけ聞くとなんて贅沢な悩みだと思いますが、実際にセネガルの若者が職を持つことはとても難しいようです。難しいと言っても、決して不可能なわけではありません。「バナバナ(※1)」と呼ばれる物売りをしたり、コーヒーを作って売ったりといった仕事は、モノが揃えば誰でもすぐに参入できます。ただし、そうした仕事は「低賃金労働者」として一部の人から蔑まれる存在でもあります。少しでも売らなくては!という熱意があだになり、しつこいと煙たがられるのです。それでも、大学を卒業したにも関わらず物売りをして日銭を稼ぐしかない若者もいます。セネガルの失業率は13.4%(※2)、この数字の中には、高等教育を受けても職を持てない若者がいるのです。
Dは大学で会計の勉強をして、修士号を持っています。けれど職が見つからないまま、卒業してからずっと兄の家に居候していました。近所で新聞を読んでボーッとしているところをよく見かけたものです。学生時代はヒップホップのラッパーとしてクラブ通いをしていたそうですが、今では携帯電話もお金がかかるからかけられないと言います。
「首都のダカールはとても発展しているけれど、仕事があるわけじゃない。一応セネガルで一番の大学に通っていたけど、それが就職に有利なわけじゃない」というのが現状だと言います。素敵な笑顔をいつも浮かべていた彼は、その影で何もできない自分を情けなく思い、もがいていました。
Cは初めて会った時には大学生でしたが、半年後に再会した時には道端で携帯電話のプリペイドカードを売っていました。聞くと、「大学を卒業したけど、仕事はまだ見つからないし、しばらくはバナバナ(物売り)をするしかない」と言います。
バナバナとして暮らす者たちは、一見すると「低学歴だから安定した職に就けていない」と感じてしまいますが、必ずしもそうとは限りません。学歴関係なくすぐに始められる仕事なので、しばらくの食い扶持として、仕方なくバナバナをするしかない若者も多いのです。道端で佇むCは、沈んだ表情で道行く人に声をかけていました。
日本でもセネガルでも、若者は若者なりの悩みを抱えて生きています。仕事をしなくてはいけない。やりたいことは我慢しないといけない。いくら望んでもできないことがある。そんな感情が渦巻く中、とにかくやれることを少しずつやるしかない、と割り切れるのが、若者から大人への一歩なのでしょうか。
最近になって、久しぶりにDから連絡がありました。就職が決まり、教師として働いているそうです。電話口の声からは、曇りのない晴れやかな表情が見えてくるようでした。
※1:バナバナ(Baana-baana)=「もう結構です」という意味の「バーハ ナ、バーハ ナBaax na, baax na」が語源。他称として「物売り」を指す言葉になった。語源からも、実際に煙たがられている様子が伝わる。[出典:Jean Léopold DIOUF (2003) “Dictionnaire wolof-français et français-wolof” Karthala]
※2:Trading Economics “Senegal Unemployment rate”より引用。(http://www.tradingeconomics.com/senegal/unemployment-rate)