チクチクと「手話」(セネガル)

池邉 智基

セネガルの農村で調査をしながら生活していたとき、なによりも困ったのが種々さまざまなチクチクする植物です。トゲの多いアカシアの枝がサンダルを貫いたり、トゲだらけの種を踏んでしまったりと、何かとチクチクしたトゲの痛みに悩まされます。

トゲのついた種で厄介なのは、ハーハーム(Cenchrus biflorus)という草の種で足の裏や服につきます。とても小さな種ですが、外を少し歩けばズボンもサンダルもハーハームだらけになります。チクリとした痛みなので大したことはないのですが、何をしてもたくさんついている種は非常に煩わしいものです。しゃがんだときに膝の裏にはさんでしまい、チクリとくるといったアクシデントは日常茶飯事のものです。

サンダルに刺さったハーハーム。剣山のようなものがハーハームで、ほかにもいろんなトゲが刺さっています

このハーハームは、雨期になるとそこかしこに生えてきます。そのため、居住空間に生えてきた忌まわしきハーハームを除草する作業が行われます。僕は村人の家に居候の身なので、ここはなんとかお手伝いしなくてはと思い、家の周りでハーハームが生えているところを頑張って鋤(すき)で除草していました。2メートル以上もあるセネガルの鋤は、先が矢尻のようになっていて、押すと雑草の根を切り、引くと二股に分かれたところで雑草を掻き取ることができます。ただ、とても地味な作業です。炎天下にちまちまと雑草をとっていくのは非常に疲れます。

鋤で除草をしているところ。汗だくになります

こういうキツい作業のときは、いつもムスタファが一緒でした。ムスタファは僕が村に来てすぐの頃から何かと世話をみてくれて、いろんなことを教えてくれました。除草のときの鋤の扱い方だけでなく、虫刺されの痕に塗ると治りがいい樹液や、腹痛のときに飲む煎じ薬の作り方などの知識も教えてもらいました。

教えてくれたといっても、彼は耳が聞こえないので、ほとんどが「手話」でした。厳密に彼の動きが手話なのかわからないものの、いつも彼が「アー」と言って僕に呼びかけ、顔を向けたらハンドサインでいろいろ説明をしてくれます。僕もなんとなくその動きを真似ながら、お互いにコミュニケーションをとります。

写真を撮るよといったら、サングラスをかけてカッコつけるムスタファ

40代のムスタファは、学校にも通っていなかったしこれまでに職を手に入れることもなかったようです。手でコミュニケーションをとるしかないし、手作業の簡易な仕事をするしかないのです。村の人のお手伝いを細々としながら、隣に住む兄の家を訪れてご飯をわけてもらい、生活しています。セネガルの聴覚障害者の学校ではフランス式の手話を教えているようですが、ムスタファはそうした学校に一切行けていないのでフランス式手話は理解していません。なんとなくセネガルで共通認識となっているハンドサインやジェスチャーで構成された、彼なりの「手話」で話しかけてくれます。

当初、僕は彼が指を動かし手をこねたりして伝えようとする「手話」が何を言っているのかまったく理解できず、対応に困ることばかりでした。それでも時間が経てば徐々にわかるようになってきます。例えば「飲む」は親指を立てた握りこぶしを口に運ぶ動作で、「父」は髭を手で引っ張るような動作です。見慣れない動作でしたが、ムスタファを通してセネガル流のハンドサインを学ぶことができました。しかし、彼が表現できる「語彙」はとても限られています。特に感情の表現は難しいようで、喜怒哀楽を身体の動きと表情を駆使し、ときに唸り声も交えて伝えてくれます。握りこぶしの親指を上げたサムズアップを彼は多用しますが、その「手話」がどんな意味にもとれるものだし、この表現だけでいろんなムスタファの感情が単純で、矮小なものに押しとどめられているのではないかと邪推することもしばしばありました。

ムスタファはいつも、雑草をとるとか、重い物を運んでくるとか、村の面倒な手仕事のお手伝いをしていました。パン屋で大量の生地をこね続ける作業をしているところも、井戸へ何往復もして水くみをしているところも見たことがあります。しかし、それでうまくいっているわけではなく、意思疎通がうまくとれず、唸り声をあげたムスタファと村人が喧嘩になっているところもよく見かけました。それでも、彼がうまく表現できない感情をなんとか読み取ろうとする努力は、村の誰もがしていたと思います。事実、村の人びとは彼とのコミュニケーションをとる際にはハンドサインとジェスチャーで「手話」をしています。

さて、トゲに悩まされていた雨期も過ぎ、乾季になって少し過ごしやすくなったところで、畑のビサップを収穫しました。土地を分けてもらった僕は、自分の畑にして豆や落花生などを植えていたのですが、中でも一番実りがあったのはビサップ(Hibiscus sabdariffa)でした。ハイビスカスの一種で、萼(がく)の部分を煮詰めてジュースにしたり、料理につかったりします。

ビサップ。花弁が落ちたあとに、萼を収穫します

ビサップを収穫するときは、大きなバケツをもってきて、萼ごともぎります。なんてことのない作業です。ムスタファはこのときも手伝ってくれました。そして、ビサップの萼と種を分けていきます。ナイフで萼に切れ目をいれて、中の種の部分を取り除いていきます。なんてことのない作業、と思っていたらなんだか不思議な感覚が指先にあります。

萼だけになったビサップ

痛い。大した痛みではないのですが、指先の全体にチクチクとくる。またハーハームでもついたかと思いますが、どこにもない。しかし指に違和感は残ります。見えないチクチクがどうも気になって仕方がない。布で拭ってみたり、水で洗い流したりしてみると、だいぶ治まりました。と思いきや、まだチクチクします。

ビサップを観察してわかったのですが、よく見ると小さな小さな毛が生えています。オクラの表面にも毛が生えていますよね。ビサップもオクラと同じハイビスカスの仲間(アオイ科)なので、あの毛のようなものが同じく生えているのです。その小さな小さな毛が、指先に刺さってくるのです。

存外にビサップの収穫はとても手の込んだ作業だということがわかりました。ビサップジュースは街中で売られていて、毎日のように飲んでいたこともあったので、あのジュースを作るまでにこんなにチクチクした痛みに耐えないといけないのかと、気づきました。

チクチクに不機嫌になってきた僕は「これ、すごい、痛いんだけど」とムスタファに視線を送りつつ手で示すと、彼はどこぞで手に入れた革の手袋をしています。おい、そんな便利なものあるなら教えてくれよと思っていたら、「これをつけなきゃ」と渋い顔で手袋を貸してくれました。「これじゃムスタファが痛いだけじゃないか」と伝えましたが、ムスタファは「俺は力があるから」と腕を突き出して僕に伝えます。ここは彼の優しさに従うべきだと思い、手袋をつけて作業させてもらいました。でもやっぱり痛いのか、「チクチクするな」と笑顔を返してきます。結果、彼がちょっとの痛みを引き受けてくれたこともあって、とんでもない量のビサップが収穫できました。

ムスタファとビサップ

 

収穫できたビサップ。陰干しをしたのち、袋詰めします

ムスタファとの手仕事をしながら思ったのは、ムスタファは言語でコミュニケーションがとれないというだけで、コミュニティの中ではどうしても「厄介者」であるということです。ムスタファもその負い目があるのか、なにかと力仕事を手伝っています。そのちょっとした手作業の労苦をムスタファが引き受けることで、そして村人が彼に仕事を与えることで、どこかで人間関係の帳尻をあわせているような感覚を覚えました。たまにお金をせびってくるムスタファを、彼の家族はときどき困った表情で見ていますが、いつも面倒な作業を引き受けている彼を邪険に扱うことはありません。彼の担う手仕事は、誰でもできるようなものですが、ちょっと面倒なことをやすやすと手伝える人材は、そうすぐに見つけられません。

作業の後もチクチクはなかなか消えることはなく、翌日も僕の指に残っていました。布に指をこすりつけても、まだ残っている感覚があります。前日の作業を思い出し、チクチクの痛みを引き受けてくれたムスタファにビサップをいくつか袋にいれて渡しました。彼は、いつものように、握りこぶしの親指を上げて笑顔を見せていました。