ある日の朝。友人の家であったかくてあまーいミルクティーをご馳走になっている真っ最中、Lさんが突然やってきた。いつも温厚な彼の顔は、いつもと違ってとても怖い。彼は20代前半にして小学校の先生として働き、障害者支援を行う地元NGOのスタッフとしても活動している。どうやら彼は町長の態度にご立腹だそう。町長が障害者の就職斡旋に協力してくれないというのだ。
当時、ケニア政府からこの町に住む若者を対象にごみ収集の求人が出ていた。この町では13人の若者を雇うことになった。誰を雇うかは町長次第。Lさんは、13人のうち3人を障害者から雇ってほしいと何度も直談判した。町長は断固として首をたてに振らなかったが、Lさんの交渉の甲斐あってか町長の言い分も少し変わった。
「1人だったら障害者を雇ってもいいぞ。Lさんが3人の障害者を選んで、その中から1人を採用しよう。」
Lさんはもちろん納得しない。家と役場を何往復もして交渉を続けたが、町長は全く取り合ってくれない。こんなやり取りを何度もしていると、ようやく一人の身体障害者の女性が採用されることとなった。ひとまずほっとした私たち。さあさあ、ミルクティーでも飲んで一服しようかと思ったその時…
「彼女は結局、不採用だよ…。」
Lさんはがっかりした様子で再び家にやってきた。採用時には名前や身分証明書に記載されている情報が登録される。そのため、身分証明書を持っていることも採用条件の1つだという。彼女は身分証明書を持っていなかったために不採用となったのだ。結局、障害者は誰も雇われなかった。
どうしてLさんはこんなにも必死で障害者の就職活動を支援しているのだろうか。それには大きな理由がある。彼も同じく障害者なのだ。彼は弱視の症状を抱えているため、たくさんの苦労をしてきた。字の読み書きにも、学費を工面することにも。今では学校教育が急速に普及しているとはいえ、多くの人が学費を支払うために苦労をしている。彼と私は同世代。学費を工面することの大変さは痛いほどよく分かる。様々な苦労をしながら、彼は小学校の先生となった。
「ムワリム(先生)、ムワリム(先生)!」
彼が町を歩けば、生徒からたくさん声がかかる。生徒と話す彼はとても誇らしげだ。無論、教師という職に就くことは簡単ではなく、彼もやっとの思いで就職した。この町では障害者に限らずとも就職率はまだまだ低い。視覚障害者として、そしてこの町に生きる若者としてたくさんの苦労を経験してきたからこそ、彼は障害者の就職支援活動に従事しているのだ。
彼はいつも前向きでよく夢を語ってくれるが、よくよく聞いてみるとその語りはいつしかおねだりに代わっていることに気付く。私におねだり攻撃をしかけてくるのだが、私はいつも決まって
「私はまだ学生よ!」
と返す。「分かっているよ!でもね…」と話を続けるLさん。こんなやりとりをいつもあいさつのように繰り返している。ときどきうんざりすることもあるが、あのときの騒動があってからは彼のおねだりを最後まで聞くようになった。そしてこう返事する。
「お金が貯まったらね!」