マサイの跳び方が変わるとき—第3回マサイ・オリンピック観戦記(ケニア)

目黒 紀夫

気がつけば2年がたち、またマサイ・オリンピックの季節がやってきた。

2016年12月10日、ケニア南部のアンボセリ国立公園にほど近いシダイ・オレン野生動物サンクチュアリで、第3回マサイ・オリンピックが開催された。わたしがはじめてマサイ・オリンピックを観戦したのは、2年前に開かれた第2回大会だった。ライオン狩猟という伝統にかわる新しい「男らしさ」を競う機会として、国際的な支援のもとで2012年から2年ごとに催されるようになったマサイ・オリンピック。それを主催するNGOもニュースとして報道する各種メディアも、オリンピックへの参加をつうじてマサイの若者たちは動物保護の意義を理解し、「ハンターからアスリートへ」と変身したのだともてはやしていた。実際のところはというと、マサイの若者たちは外部者の前ではマサイ・オリンピックをしきりに誉めそやしていたが、使い道のないメダルやトロフィーよりもお金が欲しいと裏ではいっていた(マサイがオリンピック・メダリストを夢見る日)。あれから2年。はたしてなにか変化が生じているのかを確認するため、わたしは会場を訪れた。

そうして第3回大会を観戦してまず気がついたのは、取材に訪れているメディアの数が第2回大会のときよりも少ないということだった。これは大会関係者も認めていた事実なのだが、ただ、なぜなのかはよく分からなかった。公式ホーム・ページも開設されているし、事前にさまざまな媒体で広報もされていた。それでも、グローバルな関心を集めつづけることはマサイ・オリンピックであってもかんたんではないということなのだろうか。

その一方で、参加者も観客も競技に熱中している様子はまったく変わりなかった。むしろ選手であるマサイの若者たちはおたがいの過去の大会の成績を熟知しており、前回大会で敗れた選手へのリベンジに注目が集まったりもしていた。第3回大会で総合優勝をしたのが過去2回の大会でいずれも最下位だったチームであるとき、その選手団の代表は優勝スピーチで喜びを爆発させていたし、表彰式後には選手と関係者による行進がしばらくつづけられた。回を重ねるなかで因縁が生まれ、若者たちはより真剣に競技に打ちこむようになっており、マサイ・オリンピックはこの地域のマサイのあいだに根づいてきているようだった。

開会式で来賓テント前に整列する選手たち

 

ただ、そうしたなかで今回ひとつ気になった変化があった。それは高跳びの跳び方だ。

頭の上に張られ、だんだんと高くなっていく紐に頭がふれるかを競う高跳び。選手たちはわたしたちが縄跳びをするときのように、その場で両足をそろえてピョンピョンと何回か跳び、そうして勢いをつけてから高い跳躍をこころみる。これはマサイの若者たちが、普段の生活のなかでいわゆるジャンピング・ダンスをするときの跳び方と変わらない。第2回大会では全員がこの跳び方をしていたし、第3回大会でも金メダリスト以外の全員がこの跳び方をしていた。

その場で両足で踏み切って跳ぶ選手

 

それでははたして、第3回大会の金メダリストはどんな跳び方をしていたのだろうか? 彼はまず紐から離れた場所に立ち、そこから紐に向かって走り、その勢いをのせて片足で跳んで、頭を紐に触れさせていた。それは陸上競技でいえば、高跳びというよりも走り幅跳びの跳び方に近いものだった。彼はその跳び方で金メダルを獲得したわけだが、それを見ていたわたしは何ともいえない気持ちになった。なぜなら、それは両の足で大地を力強くけって天に向かって高く跳ぶことを何度も何度もくりかえす、踊りのようなマサイの伝統的な跳躍とはまったくもちがう代物だったからだ。

高跳び金メダリストの跳躍

 

陸上競技の幅跳びや高跳びで、アスリートたちは片足で踏み切る。マサイのように両足で跳ぶ(踏み切る)者はいない。そうであるならばやはり、両足ではなく片足で踏み切るほうが、記録を競うマサイ・オリンピックにおいても正しいことになるのかもしれない。マサイの若者がマサイ・オリンピックによって「ハンターからアスリートへ」と変身するというのであれば、ライオンを狩猟することと同じように両足で跳ぶこともまた、時代遅れの行為となってしまうのか? それともマサイの若者たちは、マサイ・オリンピックの場では賞金をめざして片足で跳び、普段の生活の場では伝統にしたがって両足で跳ぶというように、状況に応じて跳び方を変えたりするのだろうか?

第4回マサイ・オリンピックは2018年12月に開催予定である。再度その会場を訪れ、マサイの若者たちが跳ぶという行為にどのような意味を見いだしていくのかを追っていきたい。