生肉を食べる(エチオピア)

山野 香織

エチオピアは東アフリカに位置する陸に囲まれた国。魚が豊富な海に囲まれた日本とは違って、エチオピアでは湖の周辺を除いては魚を食べる地域はあまりない。その代わりに、肉類や豆類が多い。とくに代表的な料理には、それらの具材を唐辛子ベースの煮汁でじっくりと煮込んだワットと呼ばれる煮込み料理があり、それらをインジェラというパンに包んで食べる。また、肉類の伝統料理も豊富で、牛肉を細かく砕いてたたきにしたクトゥフォや、茹で肉のクックル、肉を炒めたティプス、贓物を砕いて軽く炒めたドゥレットなどがある。

 

エチオピアの友人たちに、そんな豊富な料理のなかでも一番好きな食べ物は何かと尋ねると、だいたい8割は「スガ」、それも「テレスガ」と返ってくる。スガとはアムハラ語で「肉」、テレは「生」、つまりテレスガとは「生肉(たいていは牛肉)」のことである。テレスガもエチオピアの伝統料理のひとつだが、家庭よりもレストランや大衆食堂で食べるほうが多い。ナイフで肉を一口サイズに切り分けたものを、バレバレというトウガラシ調味料につけ、インジェラで包んで食べるのが一般的な食べ方である。

 

私は、実はもともと肉自体があまり好きではなかった。むしろ魚、それも刺身が大好きな典型的な日本人の味覚をもっていた。それなのに陸に囲まれた国にやって来て、そのうえ出会ったエチオピア人のほとんどが、焼いた肉ならまだしも生肉が大好物なんて言うものだから、初めの頃は正直辛いなと思ったことがあった。

 

調査先の農耕民の村では、幸運なことに(?)家庭ではほとんど肉類を食べなかった。一般的な食事は、豆の粉をトウガラシで煮込んだものや、トマトを煮込んだもの、それ以外ではトウモロコシやタロイモが食事になるときもあった。個人的には、むしろそのような豆やイモの食事に安心し十分に満足していた。しかし、週末になると事態は少し違ってくる。

 

土曜日は、村から13キロメートル先にある小さな町で定期市が開かれる。そのため、土曜日になると村の青年たちに「一緒に飯を食いに行こうよ」と誘われることが度々あった。この場合の「飯」というのは、決まって肉のことである。定期市の日には大衆食堂でも新鮮な肉が入ってくるので、彼らは普段ほとんど食べない生の肉を、この日とばかりに楽しみにしているのだ。


町の肉屋

 

青年たちと一緒に初めてテレスガを食べたのは、初めて村に入った日の翌日だった。炎天の下、緑に囲まれた坂道を13キロメートル、私はラバに乗って、3人の青年たちは徒歩で約2時間。私以外の皆は汗だくになりながら、ようやく町にたどりついた。町は定期市で賑わっており、他地域からも売買のために人々が押し寄せていた。私たちも早速、この町で一番肉がおいしいと評判の大衆食堂に入った。

道中の青年たちとの会話のなかで、彼らが大好物のテレスガを食べにここまでやって来たのは感づいていた。でも、テレスガが好きではない、むしろ食べたくないということを、彼らにずっと言えずにいたのだ。相手の文化を理解したいと思って自ら相手の村に入り込んでいる自分の立場を考えると、絶対に「拒否をしてはいけない」のだと思い込んでいたのだ。

席に着き、青年の一人が店員に向かって「テレを4人分、それからお水と、彼女には何かソフトドリンクを持ってきてあげて」と注文をしたのだが、私はとっさに「ちょっと待って……」と止め、正直に言うことにした。「私、テレスガはあまり好きじゃない……」と言うと、彼らは驚いたように「えっどうして!?嫌いなのか?」と目を丸くして見せた。「だったらティプス(焼いた肉)なら大丈夫かい?」と気を利かせてくれたが、この店では今日はティプスはやっていないという。(焼くだけなのに、と思うかもしれないが、この店のティプスは特殊で、一人鉄板鍋のようにして絶妙な調味料と野菜を混ぜて炒めるという結構手の込んだスタイルなのだ)。

「それなら、スクランブルエッグを一人分持ってきておくれ。カオリもそれなら食べられるだろう?」と青年は言い、私もそれには大満足。青年たちも一安心、店員さんも「了解」と言って厨房に走っていった。

料理が出され、皆が黙々とテレスガを食べているなか、私は一人満足気にスクランブルエッグを食べていた。「カオリはどうしてテレスガが嫌いなんだ?こんなに新鮮でおいしいのに。この小さいのでいいから食べてみなよ。恐がらなくていい」と言われ、恐る恐る口にしてみた。「どう?」と皆が心配そうにしたが、食べられないことはない。「うん、おいしい」と頷くと、彼らも笑って「そのうち慣れてくるよ」と言ってくれた。


テレスガとインジェラ

 

普段食べ慣れないものを口にすることは、誰でも初めは恐いと思うことがある。この青年たちだって、日本では魚を生で食べる習慣があると言うと、驚いて気持ち悪いものを見るような顔をしていた。しかし、食べ慣れないものを恐怖だと感じるのは当たり前のことであって、相手のことを知りたいとか、相手の文化を知りたいと強く望んだときに、この恐怖を乗り越えられるのではないかと思う。少なくとも私は、生肉はまだ少し練習が必要だが、肉を美味しく食べられるようになった。

 

そんな「恐怖」にまつわる、調査村の人々に聞いたテレスガのこんな話がある。エチオピアは昔イタリアに侵攻された時代があったが、結局どの西洋諸国もエチオピアを植民地化するまでには至らなかった。それは、生肉を手で食べるエチオピア人を目撃した西洋人が、その新鮮な赤みの肉を人間の肉だと勘違いし、自分たちもいつか食べられるのかもしれないと恐れて撤退したからだという。これは単なる噂話にすぎないだろうが、その西洋人が、もしそこで恐怖を乗り越えて同じように生肉を食べようとしたなら、エチオピアの歴史もきっと変わっていたことだろう。


テレスガを食べる