ときめきと断捨離

西﨑 伸子

 

2019年、「こんまり」ブームが全米を席捲した。Netfrixの映像をみるたびに、「アメリカの人はめちゃくちゃ物をもってんねんなぁ」というしょうもない感想しか抱いていなかったが、最近、わたしにも断捨離ブームがきて、あらためて「こんまり」のすごさを感じている。ときめかないモノは捨てるというシンプルな方法。これはやるしかない。

わたしの家には、アフリカから持ち帰ったたくさんのモノがある。靴箱の上のキリンの置物、壁に掛けられたヒョウタン、リビングのカゴ。衣類ケースにはアフリカ布が幾重にも折り重なり、ビーズ製のアクセサリーは数えきれないほどもっている。20年間もアフリカを行き来しているのだから当然かもしれない。

アフリカのモノのほとんどが日用品で、その機能性や可愛らしさに惹かれて買ってはみたものの、日本では装飾に用いるほかにほとんど出番がない。厳選したさまざまなおみやげを娘に手渡すと、大抵困ったような顔をされる。みやげ物が居間に置かれたままになっていたこともある。大人なら多少困っても、有り難く受け取る分別があるが、子供はとても正直だ。

牛の角で作られたスプーンも、ガンベラカゴとよばれるふるいも、ゴージャスな民族衣装も、ふだんの生活で、これらのちょっと変わった道具や衣装をつかうのはわたしでも難しい。アフリカに関連するイベントでたまに登場させるぐらいが限界だ。そのようなモノは結局家からもあふれてしまい、ところせましと職場に飾られることになる。こんまりの教えに沿って、ときめかないものは容赦なく捨てようとこころみるが、アフリカから持ち帰ったモノはそう簡単にはいかない。

たとえば、木の器。役に立たなさそうなモノのなかで貴重な「つかえるモノ」の一つで、気づけば家にいくつもある。

ゴンガとよばれるその木の器を最初に手に入れてからそろそろ20年ほどたつが、ほぼ毎日つかっている。朝はトーストしたパンがはいり、季節の果物が良い具合に鎮座する。揚げ物や自家焙煎したコーヒー豆をいれる器も、もはやゴンガしか考えられない。もともとは木の自然な淡い茶色だったが、揚げ物の油をすい、炒ったコーヒー豆を毎週いれているうちに、どの器も深い焦げ茶色に美しく変色してきた。わたしほどの愛情も情熱ももちえない家族も、当然のようにこの木の器を日常的につかっている。わが家の食器としてすっかりなじんだようだ。

煎り立てのコーヒー豆がはいった木の器(2019年7月 西崎撮影)

この器をつくったのは、わたしが長年調査をするエチオピア西南部の木地師の男性である。木地師は鍛冶屋でもあり、どちらかといえば鍛冶が本業、木の器は手の空いたときに副業的につくる。素材となる木材はいろいろあるが、もっとも良いとされるのは、アシャと呼ばれる固い木で、チェーンソーや電動ノコギリなどの近代的な道具を使わずにこの木を伐り、手ごろな大きさに切り、くりぬいて器の形にしていく。さらに表面をきれいにして、最後に焼きゴテで装飾をほどこす。手間がかかわるわりにさほど高値で売れない。

フィールドワークをしはじめた2000年、わたしは日常的にこの地域の人々(アリとよばれる民族集団)の家々で使われているゴンガがとても好きになり、なんとか手に入れたいと思うようになった。わたしの調査する集落には鍛冶職人は住んでおらず、手に入れるためには、山を少しのぼった先にある別の集落までいき、直接頼まなければならなかった。調査助手のソロモンくんに頼み、鍛冶職人のバキさんの作業場に連れて行ってもらうことにした。

記憶がずいぶん薄れているが、徒歩で小一時間ほどのみちのりで、道中にほんの少し上り坂があり、それがいつも苦しく感じ、息を切らせながら歩いていたように思う。ようやくたどりついたとき、バキさんは作業場で農具を修理している最中だった。よもやま話をしたのちに、ゴンガをほしいと思っていること、アシャで作ってほしいということ、1か月ほどで仕上げてほしいことを頼み、快く引き受けてもらった。

しかし、バキさん作のゴンガをわたしが手にしたのはおおよそ1年後である。日本であれば、木造住宅すら3~4ヶ月で建つのに、と思いながら、わたしは何度もバキさんの作業場を訪れては、ゴンガの出来具合を尋ねた。今は、村人ほぼ全員が携帯電話をもっているが、2000年代初旬はわたしを含め、だれも所有しておらず、直接いって交渉するしかなかった。

何度訪ねてもバキさんは「できていない」と素っ気ない返事しかくれない。エチオピアに通い始めてすでに5年以上の年月がたち、アフリカ時間には相当慣れていた。だから、どのタイミングで、少し強めに依頼すれば彼が素早く制作にかかってくれるのかを考えてみたりした。しかし、どのような言葉をいっても無駄な気がして、結局「早く作ってね」と頼み続けるしかなかった。

納得いかないのは、調査助手のソロモン君の態度だ。彼はわたしの気の短い性格をよくわかっている。内心はかなりイライラしていると知っているにもかかわらず、感情を無理に抑えたわたしとバキの会話を聞いて、ニヤニヤと笑っているだけだ。「またもう少ししてからきたらいいよ」と彼に言われ、「そうね」と答える会話を何度交わしたことか。わたしの本音は「バキさんに早く作れとがつんと言ってやってくれ」、だったが、わたしの気持ちを知っていても知らないふりをするソロモン君は、いつも淡々としていた。

アリの集落の風景(2018年9月 西崎撮影)

そうやって、注文してから1年をすぎてようやく手にした人生初のオーダーメードの木の器は、現地の人が買う値段とほぼ同じでひとつ300円ぐらいだった。高価ではないが、待ち望んで手に入れた器はわたしにとって特別なモノとなり、その数はフィールドワークの回数だけ増えていった。バキさんには、後に小動物をとるための鉄製の罠をオーダーメードで作ってもらうようにもなった。このときは、間違えて相場よりもかなり高い金額を先に言ってしまい、こちらが驚くほど早く仕上げてくれた。

ゴンガはこの地域の人々に広く使われている。プラスティック製の器がこの地域にはいってくるまでは、これとヒョウタンを器として人々は食事をとっていた。大きさにバリエーションがあり、どの家庭にもサイズの違うゴンガが複数ある。大きいものは赤ちゃんの体やお尻を洗う洗面器になっていたり、家畜のエサをいれる容器としてもつかわれている。日々の食事である豆料理やインジェラと呼ばれる発酵したパンをいれる大きな平らのお皿も木製である。プラスティック製のお皿は、使えば使うだけ汚れてみすぼらしくなるのに対して、ゴンガは使えば使うほどになんともいえない黒光りの美しい光沢を出す。ゴミになることなどほとんどないけれども、たとえそうなったとしても自然に還るだけ。今の時代にふさわしい、エコで便利な道具である。

家畜の餌を木の器に準備する女性(2004年 西崎撮影)

わたしは今、クリックひとつで希望の商品を翌日には手に入れられる日常を生きている。だから、ゴンガを手に入れる長いプロセスを20年前と同じような態度で待てるかというと無理かもしれない。携帯電話で催促したり、途中であきらめて別の鍛冶職人に依頼したりするだろう。村の生活も大きくかわり、プラスティック製品が多く使われるようになった。

しかし、職人の手仕事によるいびつな形のゴンガを見るたびに、バキさんの顔や作業場、ソロモンくんと交わしたとりとめのない会話、ぬかるんだ道、息の上がった顔にあたるそよ風などがあざやかによみがえり、あの瞬間のあの人々との出会いが生み出した偶然の産物だと気づく。モノは手に入れた後にたくさんの思い出が加わることはあるが、手に入れる前にもたくさんのストーリーがある。とりわけ手仕事で作られるモノには、格別の思いがあり、これこそがときめきを感じる理由なのだと納得する。たくさんのアフリカングッズを前にしてそんなことを考えていると、断捨離はますます進まない。それどころか、新たにときめくモノを持ち帰り、また娘を困らせてしまうのだ。