観光ガイドとして働く若者たち(エチオピア)

西崎 伸子

エチオピアの西南部に暮らす民族との出会いをもとめて、近年、外国人が参加するツアー行程にビレッジ・ツアーが組み込まれるようになった。従来からは考えられないほど多くの外国人観光客がこの地域を訪れている。

ムルシの村を訪れる観光客

 

観光客の増加とともにつくられた各地の観光ガイド協会では、観光情報を提供したり、ガイドを斡旋したりする。手っ取り早くお金を得られるガイド業は若者に人気の職業で、これらのガイド協会に所属するガイドの多くは20代である。

若いガイドの多くは、早々に学校をドロップアウトし、その後、バックパッカーの食事や雑談の相手をしながら独学で英語を学んだ強者である。15年ほど前に、わたしがはじめて調査のためにこの地を訪れたときはガイド協会がなく、フリーで活動する「自称ガイド」を名乗る少年たちによく話しかけられた。少し親しくなると金銭を無心されることもあり、正直「面倒だな」と思うこともあった。しかし、彼らが成長し、ガイドとして生き生きと働く姿をここ数年見かけるようになり、今思い返せば、彼らもまた、現地語を学ぶわたしにさまざまなことを教えてくれるありがたい存在だったのだと思えるようになった。

ツアー会社の運転手たちは現地の事情に詳しいガイドを便利に使う。無理難題を言われることも多い。村に観光客を連れていくと、今度は村人から「もっと金払いのいい上客を連れてこい」と言われる。観光客と村人双方と互角にわたりあい、タフな交渉をするためには、「お・も・て・な・し」スピリッツはさほど役に立たない。たくましさや狡猾さのほうが必要なときが多い。ガイド同士のけんかも絶えず、なかなか大変な仕事である。

ジンカ町の観光ガイド協会

 

ここ数年、国の政策の影響もあり、大卒のガイドが出現した。わたしが昨年知り合った22才のカリファもその一人である。

彼はこの地域の民族文化観光の観光対象になる農牧民バンナを父にもち、母は農耕民のアリである。その他のガイドはすべて、民族文化観光の対象にならない民族集団が出自で、学歴も低い。そういう意味でカリファはガイドのなかでとても目立っている。

とても稀なケースだが、中堅の堅実なガイドのなかには、ガイド業で得たお金を銀行に貯蓄し、今後さらに儲かる観光ビジネス業への参入を準備するものがいる。その一方で、若いガイドの多くは、稼いだお金をその日のうちに使ってしまう。それはカリファにもあてはまり、お酒を購入し、一晩で飲み干してしまうこともある。しかし、その他のガイドと違うのは、ガイド業で得たお金でヤギや羊を購入し、家畜群を大きくしようとしていることだ。

カリファの両親は数年前に離婚し、今はアリの村で母と暮らす。カリファが家畜を増やそうとするのは、離れて暮らす農牧民の父親の影響かもしれない。一方で、カリファはいつも農村暮らしはとてもたいくつだから、なんとか抜け出して町で大きな商売をしたい、ガイドはそのための第一歩だと言う。それなのに「なぜ家畜を買うのか」とわたしが問いかけると、カリファは「そういうものだから」としかこたえない。町暮らしにあこがれながらも、母や家畜を置いていくという選択にはならないところがカリファらしい。

青空みやげもの屋

 

アフリカの観光業は不安定である。内戦、飢餓はもちろんのこと、観光客が巻き込まれる事件が報道されると、観光客はあっという間に来なくなる。それを十分にわかったうえでガイド業に携わろうとする若者たちは、それぞれの方法で将来を考える。あるものはホテル経営を、あるものは車を購入してレンタカー業をすることなどだ。

15年前と違い、携帯電話が普及し、町ではだれもがインターネットを使える環境に暮らす。町の暮らしを知り、観光客の案内を通して海外を想像する機会も昔に比べると格段にふえた。村から町へ、世界を見据えつつも、現実にはなかなか地続きにならない。首都アジスアベバの一流のツアー会社で働くことを夢見るガイドも多いが、大きな町で勝負するだけの学歴も就活をするための貯蓄もないのが現状だ。エチオピアの辺境の地からキャリアアップするのは簡単ではない。

ガイドたちは、今後どのような生き方を選んでいくのだろうか。カリファをはじめ、ガイドに就く若者の未来を想像しながら、ときに彼らと共に語ることが、現地に通うわたしの最近の楽しみの一つになっている。