紹介:庄司 航
本書は、20世紀前半のフランスを代表する作家アンドレ・ジッド(※注1)が1925年から26年にかけて、コンゴからチャドに旅行した記録である。出発時の年齢は56歳で、すでに作家として名声を得ていた。
船でダカール(現セネガル)などに寄港しながらアフリカ大陸西岸を進み、コンゴ川に入ったのちはブラザヴィル(現コンゴ共和国)、キンシャサ(現コンゴ民主共和国)などに立ち寄りながら、ウバンギ川に入る。バンギ(現中央アフリカ共和国)からは陸路を自動車やチポワと呼ばれるかつぎ棒つきの椅子で移動し、出発から7か月後、最終的にチャド湖(現チャド共和国)に到達した。
旅行の目的は、フランス政府から依頼された当時のフランス領赤道アフリカの森林調査だったが、旅行が進むうち、しだいに植民地での数十の特許会社による現地住民の非人道的な扱いに関心を向けるようになる。
「こんどの使命を託せられて私がそれを引き受けたとき、最初の間は、一体自分は何に従事しているのか、私の勤める役割はどんなものか、自分は何の役に立つのか、私には充分に解らなかった。しかし現在では、私にはそれが解る。そうして私がここへやって来たのは無駄ではなかったことを信じ始めるようになった」 (p111) (※注2)
とあるように、旅行の途中から植民地経営の現状を告発することを自分のなすべき仕事と感じ始めている。
むろんこうした旅行の前提には、アフリカ大陸西岸からスーダンに至るまでの広大なフランスの植民地の存在があった。ジッドは現地住民を保護し、教育しなくてはならないと随所で憤りを表明する。しかし現代の我々の視点でみるならば、こうしたジッドの考え方もまたひとつの典型的な植民地主義的態度と言うこともできるだろう。なおこの特許会社による植民地経営の方式は1930年に廃止されることになった。
ジッドはこの旅行を機に社会問題に目を向けるようになり共産党にも入党するが、ソビエト連邦を旅行して国内の事情を知ったことにより、やがて共産主義とも袂を分かつようになる。
本書は当時のフランス植民地行政を批判した本として、またジッドの思想的転換点を示す本として有名だが、もちろんアフリカの紀行文として読むこともできる。中央アフリカ共和国やチャドといった、現在では政情不安定でなかなか訪れることのできない国々の風物についての描写があり、興味深い。ジッド自身は当初自然や動植物に関心があり、蝶を捕まえたという記述や、カメレオンやナマケモノを観察した記述などもある。またジッドは旅行に大量の本を携行していたようで、旅行中に読んださまざまな本の感想が述べられているのも面白い。
現地住民が「土人」と表記されるなど、現在では適当でない表記がみられるが、原著の出版が1927年、日本語訳も1938年に出版された当時の時代背景を考慮すべきだろう。
また本書は出版年が古いことがあって旧仮名づかいで書かれており、慣れない人には読みにくいかもしれないが、ぜひ挑戦してみてほしい。
※注1・・・ジイド、ジードと表記されることもある。
※注2・・・評者により旧仮名づかいを新仮名づかいに、旧漢字を新漢字に書き改めた。
書誌情報
出版社:岩波書店
発行:1938年
単行本:300頁