マスカル祭(エチオピア)

西 真如

エチオピア高原の長い雨期が明ける頃になると、首都アジスアベバで暮らす商人達が一斉に店を閉め、自家用車や貸切のバスを連ねて故郷の村へと出発する。

彼らが目指すのは、アジスアベバから150kmほど南西にある南部州グラゲ県だ。グラゲ県の出身者は商売が上手なことで知られており、アジスアベバの商店の二軒に一軒は、グラゲ商人が経営しているのではないかと思えるほどだ。


アジスアベバの市場

「商売のコツは何ですか?」とグラゲ商人に尋ねると、彼らはたいてい、次のように答えてくれる。「それは一生懸命に働くことだ。俺たちは、エチオピアの日本人と呼ばれているくらいだからね」。

いや、実際には怠け者の日本人がいるように、怠け者のグラゲ商人だっているのだが、儲かっている人ほど、やたらと忙しそうにしているのは確かだ。

アジスアベバに携帯電話が普及する前は、商人をのせて町中走り回ることがよくあったよ、とタクシー運転手が教えてくれた。商売は時間との戦いだ。大事な商談で今すぐ話がしたいのに、相手の商人も別の商談で奔走していて、居場所がわからないなんてことは日常茶飯事である。そんなとき商人はタクシーを使い、市内の心あたりの場所を片端から探し回ったらしい。「でも今は、どの商人も携帯電話を持っているから、タクシーはあがったりだよ」と運転手は愚痴を言った。

そんな忙しい日々を過ごしているグラゲ商人達も、「マスカル祭」のために故郷の村に里帰りするのは忘れない。2004年の9月、僕はガライエという知り合いの商人に頼み込んで、彼とその家族の里帰りに同行できることになった。

約束の日、ガライエは時間を大幅に遅れて待ち合わせの場所に到着した。彼は「仕事の話が長引いて、なかなか出発できなかったんだ」と言い訳をしながら、まだ左手に携帯電話を握りしめて、何か怒鳴り続けている。4泊5日の休暇を控え、どうしても片づけておきたい商談があるのだろう。結局、彼が携帯電話を置いたのは、二時間も走り続けて市内から遠ざかり、「圏外」の表示がでたときだった。

エチオピアの農村は、いまだに携帯電話の電波が届かない地域がほとんどだが、彼とその家族にとっては幸いだ。電波が届かないところまできて、ようやく本当の休暇が始まった。

ガライエはグラゲ商人の中でも裕福で、自家用車は大型のシボレーだ。乗っているのは彼と三人の娘、そして僕の五人だけだから、快適な旅になるはずだったが、どうも窮屈なのは荷物の量が半端ではないからだ。家具や酒、穀物、果物など思いつく限りの手みやげを詰め込んで、故郷を目指すのである。僕の足もとにも、袋いっぱいのバナナとオレンジが置かれていて、どうも居心地が悪いけれど、もちろん文句を言える立場ではない。

しかもこの旅は、やたらと時間がかかった。途中の大きな町には、かならず知り合いのグラゲ商人が経営する食堂がある。挨拶もなしに通り過ごすなど、ガライエには考えられない。そこで彼は「ちょっとコーヒーでも飲んでいこう」といって車を止める。ところが食堂にはいると、同じように故郷の村を目指している商人達が待ちかまえており、料理と酒を注文して宴会が始まる。

まだ午前中とは思えない光景に唖然としていると、居合わせた商人のひとりが「こうやって食堂の経営者を儲けさせてやるのも、商人仲間の務めなんだ」と説明してくれた。どうやらそんな気配りも、商売が上手くいく「コツ」だと言いたいらしい。ほんとうは酒が飲みたいだけのようにも見えるのだが。

アジスアベバを出発したのは朝だったのに、二度の宴会を経て村に着いたのは、日が暮れる頃だった。ガライエの到着を待ちわびた親類達は「あんまり遅いから心配で気絶しそうだったんだ」と大げさに文句を言った。もちろんこれは怒っているのではなくて、あなたは気絶しそうなほど大切な人だよと言いたいのだ。久しぶりの再会に相応しい歓迎の辞である。

ところでグラゲの村は、美しい伝統家屋でも知られている。茅葺きの丸い家に入ると、中は50人くらいの宴会が開けそうな広間だ。そしてここでも、酒がふるまわれる。大麦を蒸留した焼酎のような酒で、グラゲの人たちはこれが自慢だ。「グラゲの酒は、他のどの地方の酒よりも美味くて体に良い。それに悪酔いもしないんだ」と言われれば、勧められるままに飲むしかない。酔いが回ると皆の口も軽くなり、子どもの頃に近所の桃の実を盗んで追いかけられたとか、そんな話で笑わせてくれる。


マスカル祭のごちそう

さて翌朝、ガライエはおもむろに「村を一回りするか」と言いだした。すると尋ねて行く先の家々には、決まって一頭の子牛が庭先につながれており、短いお祈りのあと喉を切られ、解体される。夜にはその肉が、マスカル祭のごちそうになるわけだ。何軒か回ったあとで知ったのだが、その子牛たちは皆、ガライエが村人にプレゼントしたものだった。

子牛の喉を切る「儀式」が終わると、午後は庭先でコーヒーを飲んで過ごす。アジスアベバでの忙しさを忘れ、みな心からくつろいでいる表情だ。


伝統的な家屋の庭先でくつろぐ商人達

マスカル祭は、もともとエチオピアのキリスト教信仰と結びついたお祭りで、マスカルは「十字架」の意味だ。イエス・キリストの処刑に使われた十字架が長く行方不明になったあと、再発見されたという伝説があるそうだが、その日を「マスカル祭」として祝ったのがはじまりだと言われる。

グラゲ県の農村ではかつて、ガンナと呼ばれる別のお祭りも盛んだった。ガンナとはイエス・キリストの誕生日、つまりヨーロッパ風に言えばクリスマスのことだ。グラゲの村ではこの日に、ホッケーのような競技をおこなう習慣だった。専用の棒でボールを打ち合うルールだが、若者達が総出となって、村落対抗で競技をおこない、怪我人も続出したと言うからさぞ勇壮なものだったのだろう。ところが近年では、若者の多くが都会で商売をするようになり、ガンナの競技はすっかり下火になってしまった。

残念なことではあるが、その代わりにグラゲ県では、マスカル祭がたいへん重要なお祭りになった。都会で働く商人達は、次の里帰りを心待ちにしながら、残りの忙しい一年を過ごすのである。