ゆでる—カメルーンの森の民の知恵(カメルーン)

服部 志帆

カメルーンの熱帯林に暮らす狩猟採集民バカ・ピグミーの草葺きの小さなドーム型住居では、鍋がぐつぐつと音を立てている。森に囲まれたバカ・ピグミーの村には夕闇が迫り、灰色の空には星がまたたき始めている。鍋から出た水蒸気と焚き火から出る煙が、それぞれの住居から立ちのぼっている。まっすぐに空へとのびる灰白色の帯をみていると、まるでバカ・ピグミーの住居が生きており、せっせと息を吐き出しているかのように思えてくる。パチパチとまきのはじける音とともに、バカ・ピグミーの威勢のいい声が村中に響いている。日中狩猟や採集に出かけたときに遭遇した動物の様子を身ぶり手ぶりで語り、隣人である農耕民コナベンベの噂話に興じているのだろう。森や農耕民の集落へ出かけていた人たちが戻ってきて、集落は人々の活気と一日の終わりの安穏とした雰囲気で満たされている。この家庭的な時間は、カメルーンの熱帯林で単独の住み込み調査を行っている私にとって、もっとも心がおだやかで満たされる時間である。森に訪れる夜の気配を感じながら、おしゃべりに興じているバカ・ピグミーの様子をぼんやりとながめている。

しかし、ぼんやりばかりもしていられない。バカ・ピグミーがどのようなものを食べているのかを調べなくてはいけないのである。食事の内容は、バカ・ピグミーがどのように森林と関わっているのかを考える上で重要なテーマである。それぞれの家を訪ね歩き、「ごきげんいかが?」−「いいよ」、「今日はどこへ出かけたの?」−「森へ妹と娘といっしょに採集に出かけたよ」などなどと、ルーティーンの会話を済ませ、本題の今夜のおかずについて聞き取る。調査の結果、バカ・ピグミーの主食は、プランテンバナナ(調理用のバナナ)やキャッサバ、野生のヤマノイモなどで、副食はカモシカやカワイノシシの肉、ココと呼ばれる野菜、キノコなどであることがわかってきた。このような定番食材に加え、季節的に魚やエビ、カニ、食用虫、ハチミツ、果実やナッツなど多彩な森の恵みが顔を出す。

調理の方法は、煮る、焼く、蒸す、搗くという方法があるが、もっとも頻繁に彼らがおこなう調理法は、煮ることである。主食のたぐいは、鍋にまずクッキングシートとしてバナナやクズウコンの葉をしき、その上に置かれる。山刀できれいに皮のむかれたプランテンバナナやキャッサバをぎっしりと鍋に置き、ふたたびクッキングシートの葉で鍋を閉じる。上から蓋をのせて火にかけられる。こうすれば、主食が鍋にこびりつかず、鍋をごしごしと洗う必要も無い。またバカ・ピグミーに言わせると、クズウコンの葉といっしょに主食を煮ると、よい香りが主食につくそうである。鍋のふたをとり、クッキングシートを開いたとき、クズウコンの葉のさわやかな香りがあたりに満ちる。もちろん口に入れるときはそのときで、ほんのりとした香りが食欲をそそる。

副食になる野生動物の肉や魚などは適当な大きさに切られ鍋に入れられ、さらに塩や唐辛子、ヤシ油や野生の果実から取り出した油脂調味料が加えられる。材料がすべて鍋にいれられると、鍋が激しく揺れ、吹きこぼれるまで煮詰められる。火にかけられた鍋の様子を見ていると、まるで森を襲う嵐のごとく荒れ狂う。これまで森で暮らしてきた生活の知恵だろうか、肉や魚など生ものには徹底的に火を入れるのである。バカ・ピグミーとともに森に暮らす私に家族や友人たちはよく、「お腹を壊すことは無いの?」と尋ねる。しかし、バカ・ピグミーが作ってくれたものを食して私がお腹を壊したことはない。あれほどしっかりと熱が加えられたものを食して、病気になるはずも無いのである。私が胃腸の病気になるのは、首都のヤウンデに出たときで、ここで生水や生野菜、中途半端に調理された肉を食べたときくらいである。都会と比べて、森では驚くほど食中毒がない。シンプルながら、しっかりと茹でて食べることを実践さえしていれば、胃腸は守られるのである。カメルーンの森の世界には、都会にある大病院はもちろんのこと、小さな診療所も無い。 しかしながら、そこに暮らす人々は病気になれば自分たちで薬用植物を処方しては病気を治そうとするし、極力病気にならないように、生活の知恵を駆使しながら生きている。しっかりと茹でるということもそのうちの一つである。

以前バカ・ピグミーと日本人の食について話したことがある。魚を生で食べるという話をすると、おっとりした童顔にいっぱいの驚きの表情を浮かべ、「ウォーーーー!」という大きな声を出した。彼らは決して語らなかったが、バカ・ピグミーにとって日本人は、とてつもなく「野蛮な民族」に思えたのかもしれない。