私がフィールドで楽しみにしている食べ物のひとつにマンゴーがある。高価なイメージがあったので日本では食べる機会はなかったが、タンザニアに行くようになったのをきっかけにこの果物のおいしさを知るようになった。最初にマンゴーを食べたのは沿岸部の都市のダルエスサラームで、それはアップルマンゴーというのか、おおぶりの甘く柔らかいものだった。とても安価なのでいくつも買っては食べ、そのようにぜいたくに食べられることに感動したのをおぼえている。
調査地としている南部の高原地帯へ行くようになると、これとは別の種類のマンゴーを知るようになった。小ぶりでアップルマンゴーほど甘くならないのだが、熟しても形がくずれにくく、ナイフで皮をむいたあと実の部分を薄く切って食べるのが楽しい。いつしかアップルマンゴーよりも気に入るようになっていた。
マンゴーがなるのは雨期だ。熟すのを待ちきれないこどもたちは木に登ってまだ甘くないものを取ってはかじり、捨てて、よくおとなたちにおこられている。
私の調査地ではお客が家にきたら食事をつくってもてなすのが一般的なのだが、雨期は収穫物が不足する時期なので、そのようなもてなしが難しくなる。そこで食事のかわりにたくさんのマンゴーがだされることが多くなる。訪れた家ではいろいろな話をしながらたくさんのマンゴーを食べる。食べきれないとカバンにいれてもって帰れとよくいわれるので、それをまた次の家へと行く道中で食べる。調査は家から家へとわたりあるくので、行く先々でマンゴーがだされ、食べきれなかったマンゴーはカバンのなかに収まっていく。家路につくころにはわたしの食べる速さよりもカバンに増えていくマンゴーの方が多くなり、よくカバンが重く感じられたものだった。それでお世話になっている家につくと、その日食べきれなかったマンゴーは家のこどもたちのものになるのであった。
一度、一日に40個近くのマンゴーを食べた日があったので近所の若者たちにいさんでそのことを告げたのだが、彼らは笑ってとりあってもくれない。聞いてみると一日に100個以上食べることも珍しくないというのだ。彼らは、ナイフを使っているうちはまだ彼らの域に達することはできないというアドバイスをくれたりするが、私はとりあえず心ゆくまで食べられるだけで満足していた。彼らは自分たちが日本では決して考えられないようなぜいたくな食べ方をしているのを知る由もない。
一度そういう食べ方をしてしまったために、日本に戻ってスーパーなどで売っているマンゴーに気づいても値段をみて腰がひけてしまう。タンザニアで一度はちぢまったかのように思えたマンゴーとの距離感は日本では健在だ。タンザニアのものと比べてどのような味がするのか買って味見してみたいと思うのだが、どうにもあの心ゆくまで食べることのできるマンゴーにはとおく及ばないだろう思いが先にたってしまう。
結局そのようなわけで、日本では未だマンゴーを満足に食べる機会はないままになっている。