子供とは、泣くものである(タンザニア)

井上 真悠子

日本で子供に泣かれると、とても困ってしまう。近所迷惑だろうかと慌ててしまったり、ああ、どうやったら泣きやんでくれるんだろう、と困惑したり。いっそこちらが泣きたくなるくらいに、とにかく何とかして泣きやませようと必死に頑張ってしまう。しかしアフリカのママたちは、赤ちゃんが泣いたくらいでは動じない。初産の娘でさえも落ち着いたものである。二年ぶりに訪れたタンザニア・ザンジバルのS家では、去年の春に嫁に行った長女と次女が、それぞれ立て続けに子供を産んだばかりだった。

私が居候しているS家は、長男(23歳)、長女(22歳)、次女(20歳)、三女(17歳)、四女(13歳)、五女(11歳)、六女(6歳)、次男(4歳)と両親の10人家族である。そして出産で里帰りしている長女とその第一子(生後1ヶ月)、次女とその二人の子供たち(1歳の長男と生後10日の長女)が加わり、さらに彼女らの母方の従姉妹も娘(生後8ヶ月)を連れて居候しているため、現在のS家は女子供ばかりの大所帯になっている。いつも誰かがおっぱいを欲しがり、お母さんを探し、泣きわめいている。歩けるくらいの年になるとすぐにケンカをして、叩かれては泣き、泣きながら暴れる。そしてママたちは、そんな彼らを時には「うるさい!」と叱りながらも、基本的にはあまり気にせず、好きなようにさせている。

日本であまり幼い子と触れ合う機会が無かった私は、もともとあまり子供が得意ではなかった。首がすわっていない赤ちゃんを抱くのは怖いし、首がすわる頃になると人見知りをしだして泣かれるので、嫌だった。泣かれると、どうあやしたらいいかわからず、すぐに妹たちにパスしてしまう。そしてそんな私を見ると、みな口をそろえて「あなた、そんなんじゃダメよ。自分が子供を産んだときにどうやって育てるつもりなのよ?」と、笑うのである。

彼女たちは、子供の頃から赤ちゃんがそばにいる環境で育っている。姉たちは妹たちの面倒を見て、下の子たちは姉の子供の面倒を見る。また近所づきあいもオープンであるため、近所の家の子供を他の家の子があやしている場合も少なくない。基本的には母親が自分の子供の世話をするものであるが、例えば1日5回のお祈りのときや、家事で忙しいときなどは、「ちょっと抱いてて」と、周りにいる誰かに子供を託す。こうして子供たちは適当に母親から離れ、泣きながらも誰かしらに抱かれ、上の子たちは下の子をあやすのに慣れ、多少子供が泣いてもみな気にしなくなるのである。

そんな彼女らを見て、そうか、「子供は泣くもの」だと思えばいいのか、泣いても放っといたらいいのか、と思うと、私も少し気が楽になった。泣かれても、そんなに必死にならずに「おうおうおーう」と声をかけ、揺さぶりながら適当に散歩してみる。すると笑ってくれるようになり、そうなるともう、子供とは天使のように可愛いものである。また、多少首がすわってなくても、人間というのはなかなか丈夫にできているものだということも知った。赤ちゃんが泣くのは眠いから、おっぱいが欲しいから、オムツを替えて欲しいからであって、何かを責めて泣いているわけではないこともわかった。上の子たちだって、ケンカして泣きわめいていても、放っておけば5分後には勝手に仲直りをしてまたキャッキャと笑って遊んでいる。

子供に泣かれるのが苦手だった私は、ここの暮らしを通してやっと「子供は泣くものである」という当たり前のことを少しずつ受け入れられるようになってきた。それもひとえに、「ほっとけばいいのよ」というママたちの寛容なスタンスと、泣き声を許容してくれる生活環境のおかげだろう。日本では、子供に泣かれると困ってしまって、責められているかのような気分になってしまう。近所迷惑を気にし、育児マニュアルに振り回され、母親一人が子供の全ての責任を負わなければならないような気分になることも多いだろう。アフリカのママたちのように、「子供は泣くものよ」と笑いとばし、「ちょっと抱いてて」とわが子を託し、助け合いながら暮らせる環境であれば、きっと育児ノイローゼなんて、どこかに吹っ飛んでしまうのではないだろうか。

とある祝日、私は長女に連れられて母方のお婆ちゃんの家を訪れた。お婆ちゃんは嬉しそうに生後一ヶ月の曾孫を抱きながら、「私が何人子供を産んだかって?あんたらのママが私の何番目の子供かって?そんなこと、覚えてないよ。」と言った。そして、「だって、私は産んだだけだもの。あとは、放っといたら育っただけよ。」と、庭先に敷かれたゴザにごろんと寝転がりながら、のんびりと言ってのけた。

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日本とアフリカに暮らす人びとが、それぞれの生き方や社会のあり方を見直すきっかけをつくるNPO法人「アフリック・アフリカ」です。