「ゴミ」を生み出すお土産から考えたこと

黒崎龍悟

研究のフィールドとしてタンザニアに通うなか、現地でお世話になっている人たちにお土産をもっていくことがよくある。

こどもたちに対しては、簡単なおもちゃや文房具などを持っていくことが多い。ときどき、多くの子どもに配れるようにと、スーパーなどでよく売られているお徳用のチョコレート、ビスケット、あめなどを用意していくこともある。子どもたちはとくにチョコレートを食べる機会がほとんどないので、口に含むと目を丸くしてその甘さに驚いていた。私の顔を見かけるたびに「チョコレートちょうだい」「あめちょうだい」というのには辟易したが。

しかし、ここではある問題が生じていた。日本から持っていくお土産は、個別包装が多いので、チョコレートやあめを受け取った子どもたちは、中身を出すや、そのゴミである袋をそこらへんにポイポイと捨てるのである。お土産を受け取って嵐のようにさわいだ子どもたちが立ち去った後、私のまわりには大量のゴミとなったプラスチックの包装が散乱していた。

これは子どもに限った話ではなくて、大人たちもだいたいそうだ。農村では基本的にゴミはそこらへんにポイ捨てするのが共通している※1。ある時、出先でこまごまとしたゴミがでたので、私が近くにあったプラスチック袋にまとめ、後でもちかえって捨てようと置いておいた。すると、ある男性がそれを見つけて、「なんだ、まだこの袋つかえるじゃないか」といって中身のゴミをその場にバサバサと捨てたこともあった。

最初はこのような行動に驚いていたが、よく考えるうちにだんだんと納得がいくようになっていった。もともと現地のライフスタイルはほとんどゴミをださないようなものなのだ。ゴミがでたとしても、作物の皮や家畜の糞などぐらいで、そうした多くのゴミは自然に還っていたのである。料理油が入っていたプラスチックの容器など、ときには工業製品のゴミも少なからずでるが、子どもたちが水くみや遊びに使うなど徹底的に再利用されているので、ゴミにはなることはほとんどなかった。何かをポイ捨てをしても、それが「処理すべきゴミ」として見られることはあまりなくて、結果としてポイ捨ては大きな問題になってこなかったのである。一方で私が持ち込むお土産は、短期間で再利用できないゴミを「生産」してしまい、目に見えて周囲の景観をきたなくしてしまう。先進国の「洗練された」文化が生み出した包装は、風が吹けばひらひらと宙を舞って飛ぶ厄介者でしかない。このような経験をするなかで、私は現地の社会のゴミを出さない生活のありかたや、再利用する場面に関心をもつようになっていった※2

プラスチックの容器を再利用してギターのような楽器をつくる
農村の子ども

食用油の入っていた容器を水汲みにつかう子ども

空き缶を利用してつくられた油さしや灯油ランプの
容器。タンザニア南部の町の市場にて

しかし状況は変わりつつある。近年では経済成長の影響のせいか、多くの農村でもさまざまな工業製品が流通するようになって、自然に還らないゴミもよく見るようになった。とくに問題になっているのは買い物袋(日本でいうレジ袋)で、それが人びとの生活圏の端に追いやられつつも見過ごせないほどの存在感をもつようになったため、政府はプラスチックバック禁止の強硬なキャンペーンを張るようになっているほどだ。しかし、工業製品由来のゴミ処理の基本的な知識はあまり広まっておらず、ゴミ処理のインフラもじゅうぶんに整っていない。その一方で、工業製品はどんどん流入し、また多くのメディアが購買欲をあおるような情報を日々流している。

ポイ捨てをできていたのは、その社会がゴミとの付き合いに余裕があったからだろう。私たちの社会がポイ捨てに厳格なのは、その対極にあるからではないだろうか。工業化の恩恵を受けるにつれて、ゴミ問題との付き合いがより深刻になっていくわけだが、タンザニアにとってもそれは遠い将来のことではないのかもしれない。

こう考えてみると、ポイ捨てできる社会、というのは得難いものなのかもしれない。タンザニアが、これまでのゴミをうみださない知恵を活かしながら工業化していくことができればいいと願うが、難しそうだ。

※1:ポイ捨てはするけど、農村の人びとは生活圏をとてもきれいにしている。農村の朝は、家の周囲を掃き清めることではじまる。ポイ捨てされていたゴミはまとめて家の周縁に捨てられる。

※2:廃棄物利用などの詳しい話はエッセイ「若者たちのブリコラージュ」をご覧ください