ここにいるよ(南アフリカ共和国)《teng/ここ/ソト語》

河野 明佳

多くのアフリカ文化において、挨拶はとても大切なものと考えられています。「こんにちは、元気ですか」から始まって、「あなたのご両親は元気ですか」「おじいさん、おばあさんは元気ですか」と一通りの決まり文句を言うだけで、ずいぶんと時間がかかってしまう、という話はアフリカ各地で聞かれます。私が調査しているソトの人たちにとっても同じ。どんなに急ぎの用があっても、「元気?」という挨拶を抜いて要件を話し出すのはとっても失礼なことにあたります。私が最初に覚えたソト語も、この一連の挨拶でした。

A)Dumela, mme. (こんにちは、お母さん)
B)Dumela, ausi. (こんにちは、お嬢さん)
A)Le kae, mme? (お元気ですか、お母さん)
B)Ke teng, le kae? (元気ですよ。あなたは元気なの?)

少なくともこのくらいの挨拶を済ませてからでないと、なんてせっかちなの!と笑われて、要件が済んだあとに「ところで、お元気なの?」と一連の挨拶を繰り返されることが何度もありました。これは英語の”How are you?” “I’m fine, how are you?” にあたるもので、英語で会話をしていても南アフリカの人たちはこの挨拶を必ずきちんとしてから会話をはじめます。

写真1 道端を歩いているといろんな人から「お姉ちゃん、元気かい!?」と挨拶されます
 

ところでこの「ご機嫌いかが?」「元気ですよ」という挨拶、ソト語の元々の意味は少し違います。Le kae?/O kae? (お元気ですか?)は、本来は「どこにいますか」という意味。実際、人を探すときにも同じ文を使います。(話し相手一人を指す言葉はoですが、丁寧に言うときは複数形のleを使います。)例えば電話口で・・・

A)Thato, o kae? (タート、どこにいるの?)
B)Ke ofising. (事務所にいるよ)

そして「お元気ですか?」に対する答えKe teng(元気です)は、本来は「私はここにいます」という意味。例えば出欠をとるときに、「〇〇さんいますか」という質問に対してもKe teng. と答えます。つまりこの一連の挨拶は、言葉通りの意味を取ると「どこにいるんですか」「私はここにいますよ」というやりとりなのです。

どうして、目の前の相手にたいするご機嫌伺いが「どこにいますか?」で、それに対しての返事が「私はここにいますよ」となるのでしょう。実は書いている私自身、きちんと勉強をしておらず、学術的にどのように解釈されてきたのか知りません。そして他の言語でも同じようにやりとりをされるのか、知りません。

おもしろいのは、目の前の相手、あるいは電話先の相手に対して開口一発、「どこにいるの?」「ここにいるよ」というこのやりとり、英語での会話でも行われることがあるのです。もちろんHow are you?と聞いてくる場合も多いのですが、それと同じくらいWhere are you?と聞いてくることがあります。Where have you been? と、 現在完了形で「今までどこにいたの?」という聞き方もあります。そう聞かれた相手は、例えば「ずっと家にいたよ。最近何もすることがなくてひまなんだ」とか、「今学校。課題が終わらなくって友達に手伝ってもらってるのよ」とか、自分の現在の状況を添えて話し出します。 もちろん、相手に「そっちこそどこにいるの?」と聞き返すのも忘れません。家族や友達のことを聞くのにも、「彼女はどうしてる?(How is she?)」ではなく「彼女はどこにいるの?(Where is she?)」と聞くことが多々あります。この英語でのやりとりは、ソト語でのLe kae? Ke teng.  という一連の挨拶とは違って、定型化していません。How are you? と聞いた後でWhere are you?と始まることもあります。当初私はこんな会話をするたびに、私がどこにいたって電話口の相手にはどうしようもないわけで関係ないじゃないか・・といつも不思議に感じていました。 それよりも最近どうしていたか、とか聞いてくれる方が自然なのになぁ・・とも。

写真2 こちらも目があって、「元気?」と挨拶してくれたお弁当屋さんのママ
 

でもあるときふと、それってソト語での挨拶の本当の意味と関係しているのではないか、という考えが浮かびました。ソト語での挨拶の本当の意味と英語での挨拶のこうしたやりとりの共通性を考えると、彼らの世界観では、「今いる場所」の意味が単なる物理的な場所だけを指しているではないのかもしれません。その存在の状態をも含みこんだ意味として使われているように感じてきます。そして過去でも未来でもなく「今」どんな状態であるのかが大切なのではないか、とも感じられます。「どこにいるの?」「ここにいるよ」そういったとき、そこには、「ここにいるよ。いつもと変わらず、ここにいるよ。ちょっと大変なこともあったけど、今は大丈夫。何も変わりはないよ。元気だよ」そんな意味が込められているように思えてきます。

彼らの世界観では、「ここにいる」ということがとっても大切なのではないか、そんな風に考え始めたら、今、ここにいるということを大切にしようと思えてきました。ここでやっていること、ここで一緒にいる人、ここの環境、それらを大切に、今をすごしていこうと思えてきました。先々を考えて「こうしなきゃ」「ああしなきゃ」と未来のために生きるのではなく、「ここにいる」ことを大切にすること、今を生きること。そんなことを考えるようになりました。

きっとこの言葉の使い方や言葉からみえてくる哲学に関しても、きちんと理論的に研究がなされているのでしょう。不勉強な私は、そういうことをもっともっと勉強していかなければいけません。もしかしたら私の解釈も全くの見当違いかもしれません。でもこんなふうにソトの人たちと過ごす毎日の生活の中で、少しずつ彼らの言葉の使い方を自分自身で感じ、自分なりに理解しようとすることで、だんだんと言葉の表面上の意味だけでは捉えきれないものの大切さを学ぶことができたように感じます。アフリカに通い始めたころは英語やソト語というコミュニケーション・ツールを習得することで相手を理解できると思っていたけれど、ソト語をいかに完璧に習得したとしても、あるいはお互い英語で話すことになんの障壁を感じなかったとしても、お互いの言葉の背後にある世界観や哲学を理解しないと、100%理解しあっているようで実は少しだけ見ている世界が違うんだなぁと意識するようになりました。

「ここにいるよ」

まずはこの言葉をかみしめながら、彼らとの日常を改めて考えていこう。初めてアフリカの地を訪れた時、満足に英語もしゃべれなかった私が、ソトの人たちのことを知りたい、と彼らを追いかけはじめて数年。少しだけ、彼らに近づけたように感じられたきっかけが、この一番最初に覚えた挨拶の言葉でした。