王の優雅さ(南アフリカ共和国)《morena/ 王・首長/ ソト語》

河野 明佳

存在からにじみ出る優雅さ。そんな言葉を圧倒的事実として体感したのは初めてだった。南アフリカ共和国フリーステイト州クワクワ地域で、バクウェナ部族の王族と出会ってのことだった。

ホームパーティーにお呼ばれした時。華やかに着飾り、常に話の中心にいるバクウェナの女王は、ゲストたちと冗談をいいあい、笑いあいながらも、料理やお酒を一人で運び、ゲストに振る舞っていた。彼女一人がサーブしていることは、注意してみていないと気付かないくらいのさりげなさで、女王は全ての仕事をこなしていた。ゲストに気遣わせないという気遣い。

親族のお葬式の時。冷たい雨の降る日だった。バクウェナ王族の男性陣は、民族衣装に身をつつみ、威厳たっぷりに来客にあいさつしていた。来客への応対は、相手が貧しい人であろうと、他の王族出身者であろうと変わらなかった。年配の人を敬い、体が弱い人を気遣い、子どもたちにはあたたかい微笑みを向ける。そこには圧倒的な経済格差・身分格差といったものがあったりするのだけれど、そんなことはみじんも感じさせない振る舞いだった。全ての人に対して向けられた敬意。

私と同世代の王族の人たちと一緒に遊びに行っても、彼らの育ちのよさを感じずにはいられなかった。若者たちはみんな、馬鹿騒ぎをしているように見えて、さりげなく、でもいつでも周りの人たちを気遣っている。話題から外れてしまう人がいないように。言葉の誤解からいさかいが起きないように。そして人に「気遣っていることを気付かせない」その立ち回りのスマートなこと!

王族と言っても、現在、南アフリカ国家から王と認定され、伝統的指導者会議のメンバーであるのはその中のほんの数人で、その他の人たちは普通の人と同様に、自分で仕事をし、生活を送っている。皆がみんな、経済的に豊かであるわけでもない。彼らを前に緊張する私に対して、「普通に暮らしてる普通の人間だろ」と笑う彼ら。それでもやっぱり、彼らの言動の細部に、付け焼刃のおすましでは通用しない、育ちの良さが感じられた。

写真1 給仕しながらもゲストとともに歌って踊る女王(一番左)
このように称賛していると、まるでバクウェナ王族の回し者のようだが、実際には私は彼らに出会うまで、王族に対して非常に批判的であったのである。クワクワ地域のバクウェナ部族という集団単位は、植民地期より非常に恣意的に構築されてきたものであり、元来から存在してきたものではないからである。

現在の南アフリカ共和国フリーステイト州クワクワ地域が植民地体制に組み込まれたのは19世紀初頭。度重なる入植者との土地をめぐる戦いを回避するため、無数に存在したアフリカ人の小さな集団の一つ、モハチャネ・パウルス・モペリ率いる約100人からなる集団が入植者の統治下で居住することを求めた時にさかのぼる。

モハチャネ・パウルス・モペリは、確かに隣国レソトの建国の王モシェシェの腹違いの兄弟ではあったが、当時の彼は無数に存在した小さな集団(首長国)の一つを率いる王でしかなく、そこでいう「王(morena)」とは、私たちがイメージするような王国の統治者とは意味が違った。しかしモペリが入植者によってクワクワ地域への居住を許可されたとき、入植者はモペリ率いる小集団をバクウェナ部族と名付け、モペリをその王として承認した。後からモペリの集団が居住する地域に移住してきた人びとは、皆モペリの統治下に入ることが義務付けられた。こうして、植民地体制に組み込まれたことによって、モペリと、モペリの血を引く人びとが、クワクワにおけるバクウェナ部族の王族として地位と権力を維持していくことになったのである。

そんな知識で頭がいっぱいだった私にとって、バクウェナ王族とは単に入植者政府とうまく付き合うことができ、そこから恩恵を受け権力を保持してきた一族にすぎなかった。まさかこんなに自然と尊敬の念があふれてくるなんて思いもしなかった。

ソト語のことわざにこのようなものがある。
Morena ke morena ka batho. (王は、人びとによって認められて王になる。)

つまり王というのは、人びとからの支持を得ないと王でいられないのである。モペリがクワクワに移住してきたころのアフリカ社会においては、人びとが王を選んで集団間を移動することは頻繁に行われていたという。人びとの利益のために動くのでなければ、人は自然と彼からはなれていってしまうのだ。

またこのようなことわざもある。
Morena ke kgetsi ya masepa. (王とは、人びとのゴミ捨て場である。)

これは、王という存在が、人びとの抱える問題すべてを抱えるものであるという意味である。人びとが対処しきれないこと、したくないことも全て、王のところへやってくる。王はそれらにきちんと対処することが義務付けられている。その責任を負ってこそ、人びとは王を支持し、付き従うのだ。

写真2 女王とともに踊る王族の女性たち
バクウェナ王族との出会いでわかったことが一つある。確かに歴史的に見れば、バクウェナ王族というものがどれだけ「真正」なのかはわからない。アフリカ人の社会は植民地化以降、大きく変容してきたからだ。そしてそれを外部から批判することはとっても簡単なことだ。しかし、「王族」の血を引いて生まれてきた人たちにとっては、その存在や系譜がいかに真正であるか、が大切なのではなく、彼ら自身がいかに真正であるかが大切なのだと感じた。

バクウェナ部族という集団のくくりが、植民地期に恣意的に創られたものであったとしても、それはもはや単に「創られたもの」だとは言い切れない現実として今に存在する。このような王としての心意気を彼らが内面化し、代々受け継いできたことは、王族の若者多くが、地域活性化の活動に様々な形で取り組んでいることからも明らかであろう。必ずしも経済的に成功しているわけではない彼らが、それでも地域を離れず、地域のために働くことを決意するとき、「モペリの名にはじないように、自分も何かしたい」という言葉が聞かれた。

王族の一員であるということの自覚、人びとのためにつくす血を引いているという自覚。スマートで優雅な彼らの立ち振る舞いは、そんな風に代々育てられてきた人たちだからできるのだろうと思った。