ンホノの「白人の思い出」(南アフリカ共和国)

河野 明佳

南アフリカ共和国、フリーステイト州。電気のない村での静かな夜。ろうそくの明かりの中で食事を終えた私たちに向かって、ンホノ(ソト語:おばあちゃん)がゆっくりと語りだした。

「私が昔働いていた農場の雇い主はね、それはそれは、とってもひどい人だったのよ・・・・」

久々の孫の帰郷。近況報告が一段落すんだところではじまったンホノの話は、唐突な話題のように聞こえた。

・・・・私たちはとってもひどい扱いを受けていたの。子どもたちは学校にも行かせてもらえなかった。私が出産したときは、生まれたばかりの赤ちゃんを取り上げて、たき火の中に投げ込んで殺してしまったのよ・・・本当にひどい人たちだった・・・

耳を疑うようなつらい経験の話は、何の前触れもなく突然はじまって、一瞬にして終わった。ンホノの孫である私のホストマザーに「ンホノの話してたこと、わかった?」と確認され、「うん・・・」と私は重い返事をした。何と言っていいかわからず、ンホノの次の言葉を待っていると、しばしの沈黙の後、「さ、そろそろ寝ましょうか」とンホノ。私たちは、ンホノの唐突な話の重さを引きずりながら、静かに寝室へと向かった。

久々に再会した孫娘とンホノ

 

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ンホノの白人所有農場での思い出話は、私の訪問へのリアクションであったと思う。ンホノに育てられた私のホストマザーも聞いたことがなかったという話。雇い主でもない、自分の孫の「娘」として連れてこられた「白人(*)」の訪問に思うところがあって、ンホノはこれまで語りたくもなかった白人の思い出を語る気になったのではないだろうか。

(*)法制度だけでなく日常レベルにおいても肌の色による人の分類が長期に渡り行われてきた南アフリカでは、「黒人」と分類されてきたアフリカ人にとって「黒人ではない」といった意味合いで「白人」と見なされることが多々あります。

「白人」が「村」を訪れることは皆無だという。アパルトヘイト体制が撤廃され20年たった現在においても、南アフリカでは今だ人種間の壁が厚く、旧アフリカ人居住区、その中でも貧困地域においては、「白人」が入ってくることがほとんどない。そのためどこへ行っても、このめずらしい「彼らの言葉を話すやけにフレンドリーな白人の女の子」は注目の的で、会う人会う人に驚かれ、熱烈な歓迎を受けることが多い。しかし同時に「白人」に対する拒絶、憎しみを直接的に示されることもあった。いずれにせよ、「白人」は「我々とは違う」「我々の文化になじむことがない」と捉えられ、大変気を使われることが常である。旧アフリカ人居住区では「人種」が今だ人を判断する重要な物差しであり続けているのである。

ンホノの住む「村」

 

しかしその日、孫に連れられて初めてやってきた「白人」の女の子(私)に対して、ンホノは驚いた素振りを見せなかった。私は特別な扱いを受けることなく、彼らの流儀に従い、ンホノに教わりながら、お土産を棚にしまったり、水を近所の井戸にくみにいったりと、若い女の子に課せられる役割をこなした。ンホノのさりげなさは、余計な気を使われることがないという意味で居心地よく感じられたが、その一方で、私の訪問に対してどのように思っているのかが全く読み取れず、最初は少し怖くもあった。冒頭の、唐突にはじまった白人所有農場での話は、「最近ここでも家畜泥棒が増えてねぇ・・」などと、あたかも私の肌の色の違いなど見えていないかのように世間話をぽつぽつとしながら家事をこなすンホノが、唯一見せた私の「肌の色」への反応であった。

 

ンホノは、農場労働者の娘として生まれた。他のアフリカ人農場労働者と同様、白人所有の大農場に住込みで働く親とともに、ンホノも幼い頃から農場で働いた経験を持つ。学校には行っていない。ここフリーステイト州は、南アフリカの中でも最も保守的で人種差別が根強い地域の一つである。白人所有の大農場が土地の大部分を占め、多くのアフリカ人が農場労働者として働いた経験を持つ。農場では、住込みの農場労働者たちは外部社会と切り離され、農場主による独裁のもと働かざるを得ない。ンホノが体験した身の毛もよだつような話も、おそらくあちこちで行われていたことであろう。

農場を転々とした後、結婚。ンホノの家族が農場での仕事をやめ「村」へ移ってきたのは、アフリカ人の土地所有が厳しく制限され、限られた土地をめぐるアフリカ人同士の対立が顕在化してきた時期だった。政府は管理のしやすさから、土地所有を特定の民族に限定していたため、対立は民族間の対立へと発展していった。ンホノの夫は、「村」のマイノリティであるソト人の住民リーダーとして、活発に活動していた。「村」の「反逆者」と見なされ、村八分にあった時期もあったという。ンホノに育てられた私のホストマザーも「村」の学校を追い出された。

アパルトヘイト体制が撤廃された後も、夫に先立たれた後も、ンホノは「村」を去らず、町で暮らす娘や孫たちからの「一緒に暮らそう」という誘いも断り、住み慣れた「村」で静かに一人暮らしを続けている。彼女が生きぬいてきた環境は、人種差別体制のもとの重層的な支配構造の底辺に位置する。その中でも女性はさらに周辺化されてきた。激動の時代を、そしてたくさんの不条理や暴力の中を、彼女は何を考え、どう生きてきたのだろう。

ンホノは多くを語らないけれど、私を何も言わずにさりげなく迎えてくれたあの日の後ろ姿が教えてくれた気がする。決して忘れることのない、しかし語ることもはばかられる出来事を数多く経験する中で、ンホノは、目の前の出来事に動じず、日常の一つ一つを大切に、芯を持って生きるすべを身に着けてきたのではないだろうか。近所の人たちが私の訪問で浮足立つ中、特別扱いをするでもなく、あくまでただの「若い女の子」として、しかし文化や歴史を学びに来たという何も知らない私に「村」での生活を当然のことのように教えてくれたンホノ。そしてふっと思い出したように唐突に語られた白人農場での経験。私を「白人」と見なしていないわけではない。けれど私をただ肌の色だけで見ていたわけではない。自身の生き方を恥じることなく、一人の学生として私を受け入れ、教えてくれた。これらは全て、ンホノという一人の女性の生き方を語っているように思えた。やり場のない痛みや悲しみを忘れることは決してない。けれど今を受け入れ、肌の色にとらわれ自分のまげることもなく、堂々と自分を生きる。

飼っていた鶏をとさつし、食事の準備をするンホノ

 

時代が変化する中でも変わらない日々のいとなみ。近所の子どもに手伝わせながら、もくもくと畑仕事をし、庭を掃き、料理をつくり、そして友人との世間話に興じる。静かに日課を繰り返すンホノの姿に、彼女が生きてきた歴史に裏打ちされた強さを感じた。