名を継ぐ(ギニア)《togoma/名を継ぐこと・名を継いだ人/スス語》

中川 千草

わたしの名前「ちぐさ」は、日本以外の人に覚えてもらいにくいようだ。チギサ?ティディサン?と混乱しやすい。アメリカでホームステイをしたとき、滞在先の家のお母さんから、「マーガレットはマギー、アンジェリーナはアンジー。だからあなたは、ツィギーサじゃなくて、チギー!」と宣言された。中学生だったわたしは陽気なアメリカンママにも、このニックネームにもまったくなじめなかった。

時が経ち、あらたな環境での生活をスタートさせた際、「一番変わったあだ名」について聞かれたことにより、「チギー」をひさしぶりに思い出した。そのまま、チギーはわたしのニックネームとして採用されてしまった。はじめはすこし戸惑ったものの、研究活動を通じ、海外の人びと接する機会が増えるにつれ、この呼び名の便利さに気づくにはそう時間はかからなかった。

はじめてのギニア渡航で名前を聞かれたときも、迷うことなく「チギー」と答えた。想像以上に反応がよく、ことばも含め、現地のことがほとんどわからないなか、自分の名をすぐに覚えてもらえることは、ありがたかった。ある日、通りを歩いていると、Boutique Tigui(ティギ商店)と書かれた看板を見つけた。近くの人にたずねると、Tiguiとは人の名前だという。正確にはTigui danké(ティギ ダンキ)というらしく、ギニアのなかでもマリンケの人びとのなかで、女性に付ける名だと教わった。ここギニアで、チギーがすぐに覚えてもらえた理由がようやくわかった。

さて、ギニアでは、その信仰に従いイスラムネームが付けられることが多い。そのうえ、親しい人にちなんだ名付けが積極的におこなわれるため、自分と祖父や、自分の母親と娘が同じ名だったり、親友の名を自分の子どもに付けるということがめずらしくない。モハメッドとは長男によく付けられる名だという。ゆえに、「モハメッドがさ?」などと話しはじめると、間違いなく、どのモハメッド?と返される。

このように誰かの名を継ぐことや、継いだ人をスス語で「togoma(トゴマ)」と呼ぶ。一人称単数ntanを示すnをtogomaの前に付けると、ntogoma(ントゴマ)=わたしの名を継いだ人という意味になる。「トゴマはすばらしい。でもわたしにはまだトゴマがいない。友だちにはもうトゴマがいるというのに!」という歌がある。この歌のように、ntogomaの存在は喜ばしきことであり、誇らしきことである。なぜなら、自分が評価されたり、尊敬されたりしていなければ、ntogomaを持つことはできないからだ。自分の名が継がれたことを知り、嬉しき泣きする人もいる。

写真1 togomaの誕生を喜ぶ友人のBintia
 

あるとき、知り合いのおばさんが抱いている赤ちゃんの名をたずねたら、このおばさんと同じ名だったので、おばさんに「この赤ちゃんはあなたのtogomaなの?」と聞いてみた。すると、「いやいや、わたしはわたしのおばあさんのtogoma。この子はこの子の父親のおばさんのtogoma」と説明された。この場合、二人はtogomaの関係にはならない。単に同じ名というだけだ。

他方、togomaによって結びつけられた者同士の関係は、とてもとても深い。自分が誰かのtogomaである場合、名をくれた人を親以上に敬う。自分にntogomaができれば、実の子ども同様に気にかける。生きているあいだは精神面や金銭面など、さまざまな場面でケアし合う相手であり、死後の世界では唯一コミュニケーションをとれる相手となる。ntogomaがたくさんいれば、あの世でも寂しくない。

このようにして、同じ名の人が増え、本名の重なりが多くなるせいか、本名とは別にニックネーム(スス語:sirou)を持っていることがめずらしくない。そのバリエーションは実に豊かだ。シンプルなものは、本名をもじったものだ。アブドゥと呼ばれる人にしばしば出会うが、彼らの本名はアブドゥライ、アブドゥラマ、アブバカールなどだ。一方、本名とは全く違う文脈から生まれる場合もある。フランス語で「荒く砕く、粉砕する」を意味する動詞のconcasser(コンカセール)というニックネームを持つ女性がいる。彼女はダンサーであり、まるで岩をも砕くかのようにダイナミックに踊る様(加えて、彼女の性格)がその理由だと聞いた。グランペール(Grand-père/おじいさん)」と呼ばれる男の子は、おじいさんがかわいがっているからこのニックネームになり、すっかり大人になっていても、アンファン(Enfant/子ども)と呼ばれつづける成人男性がいる。イスラムネームがニックネームに採用されることもあるし、有名な俳優や歌手、海外のスポーツ選手にちなんだものもある。

写真2 ダンサーのコンカセール

写真3 ニックネームは、おじいちゃん
 

また、ニックネームが本名とともに引き継がれることもある。すると、ニックネームの辻褄がしばしば合わなくなる。たとえば、ある町には誰もが目を見張るほど太鼓がうまい男性がいた。太鼓を叩くテクニックがまるで魔法のようであるということから、フランス語の魔女(魔術師)を意味するソシエ=sorcièreというニックネームがつけられていた。彼のtogomaは本名に加えこのニックネームも継ぎ、ソシエと呼ばれている。ソシエとは、ケンカの際に相手を罵倒するときにも使われることばであるため、こうしたニックネームが付けられた経緯を知らないと、嫌われ者なのか?と誤解しそうになる。

ある日、知人からニックネームの変更を告げられるということがあった。ニックネームの「追加」かと思っていたら、「改名」だという。彼はある人のtogomaとなり、ニックネームも引き継いでいたものの、二人の関係が壊れるできごとがあった。プライドを傷つけられるような裏切り行為をされ、それをどうしても許せなかった。同じ名であることすら嫌になったが、本名の変更はできないので、ニックネームのみを変えることにしたという。これは、togoma関係の終わりを周囲に宣言したのも同然だった。

わたしは、いまのところ誰のtogomaでもないし、ntogomaもいない。しかし、しばしば、偶然出会った人から「この子はティギだから、あなたのtogomaだね」と子どもを不意に抱かされることがある。こうなってしまうと、それを拒否することはできない。他人同士だった二人は、その瞬間からtogomaとして、関係を一気に縮める。わたしはこれを、逆togoma、押しつけtogomaと心のなかで呼んでいる。子どもを抱かせた大人の顔が必要以上にニヤついていたり、なれなれしく「だからお金ちょうだい」などと即座に要求してくるときは、togoma詐欺と言ってもいいかもしれない。それは半分戯言であり、半分本気だ。だから、わたしも嘘かまことかわからないような態度で、それを受け入れる。そこからどんな関係がはじまるのか、それはそれで楽しみだからだ。

アメリカ西海岸で生まれたチギーというニックネームは、ギニアのティギへとつながり、togomaを介した社会の成り立ちを教えてくれた。通りですれ違う人や壁の向こう側から、誰かがいつもティギ!と呼ぶので、なかなか前に進めない、ギニアのあの街角がなつかしい。