映画『アトランティックス』マティ・ジョップ監督・脚本、2019年、フランス・セネガル・ベルギー合作

紹介:池邉 智基

砂埃の舞う海沿いのセネガル。その首都ダカールにそびえ立つ巨大なタワーが画面に映し出されている。その建設現場で男たちが怒号をあげている。給料が3ヶ月も支払われていない不満を、男たちは事務所で訴える。スレイマンも同様に給料の未払いについて訴えるものの、責任者不在の現場では現場担当者も対応に困り、末端の労働者たちの声は虚しくも聞き入れてもらえない。スレイマンは家族を養いながら生活するため借金までしている現実に、絶望しながら帰路につく。その道中、彼は恋人のエイダと廃ビルで逢瀬をし、その夜にまた会う約束をする。エイダは10日後にイタリアでの出稼ぎで財を成しているオマールと結婚する予定だが、よく知らない金持ちよりも、素直なスレイマンと会うことをやめられずにいた。夜中、家を抜け出したエイダは待ち合わせ場所のバーでスレイマンを探すが、そこに彼の姿はなかった。スレイマンは男たちと共に、スペイン行きの不法移民船に乗っていってしまったと、バーで働く友人が教えてくれた。スレイマンの突然の決断にショックを受け、そして彼が海で死体となって揚がってしまうのではないかと心配するエイダは、放心状態で結婚式までの時間を無為に過ごし、婚約者のオマールと会っても冷たくしてしまう。それでも時間は過ぎていき、結婚式は予定通り、豪勢に執り行われる。エイダの友人たちは金持ちとの結婚を羨み、純白のキングサイズベッドが置かれた寝室で、俯いたままのエイダを尻目に記念写真を撮る。いつまでも落ち込んでいるエイダがベランダで友人の説得を聞いていると、突如寝室で不審火による火事が起き、新婚の象徴とも言える純白のベッドが燃えてしまった。刑事が捜査を進め、放火犯の容疑者として不法移民船に乗っていったはずのスレイマンが指名手配される。スレイマンとの関係を暴かれたエイダに対して、彼の放火の幇助をした疑いがかけられる。何も知らないことを訴えるエイダを刑事は厳しく尋問で追い詰める。追い打ちをかけるようにオマールの家族が彼女に処女検査を受けるように命じ、エイダは病院へと連れて行かれる。エイダの周囲で起こる不可解な出来事と重なるように、街の女たちが夜中、何かにとりつかれたように外を徘徊する事件が起きる…。

 

本作は俳優もこなすマティ・ジョップによる監督・脚本作品である。2019年に公開され、現在Netflixで配信されている本作は、各所で高評価を受け、同年のカンヌ国際映画祭ではパルム・ドールの候補に挙がっていた。セネガルを舞台にしている作品であるだけに、全編が民族共通語であるウォロフ語(一部フランス語)で制作されている。題名の『アトランティックス』にもあるように、本作の舞台はセネガルのダカールだけでなく、ヨーロッパやアメリカ大陸に面した大西洋が象徴的な場所として登場している。いつからか、ダカールから見える大西洋の先は、セネガル人にとって夢の場所となっている。国内でいくら働いても終わることのない生活苦から脱するには、大西洋の先にある場所で出稼ぎをして成り上がることがひとつの手段となっているのだろう。しかし、なんとかヨーロッパに辿り着いたとしても、成功が待っているわけではない。筆者がこれまでに紹介したファトゥ・ディオムの『大西洋の海藻のように』やチママンダ・ンゴズィ・アディーチェの『なにかが首のまわりに』でも、フランスやアメリカに憧れをもって飛び立ったアフリカ出身者たちの夢がいとも簡単に潰されてしまうような絶望的な状況や、さらに本国への度重なる仕送りの要求に疲弊する様子が描かれている。本作もこれらの作品と類似したテーマを扱っているが、本作が描き出すのは不法移民船が向かう大西洋である。

小さな漁船に乗って大西洋を渡ろうと試みるセネガル人は多い。何人もの若者たちが不法移民船に乗って、大西洋を北上しようと試みる。筆者はこれまで、セネガルの新聞等で不法移民船についての記事を数え切れないほど目にしてきた。大西洋沖(あるいは地中海沖)で座礁した不法移民船のこと、その船に乗っていたセネガル人の遺体が見つかったこと、あるいは座礁した船が海上で救助され本国に送還されること。それでもなお、若者たちが移民船に乗ろうとしていること…。アフリカにいる低所得層が違法な手段を使ってでも国を出て働ける場所を探そうと試みることは、現代において非常に身近な現象と言える。その原因とも言える各国内の貧困も、止まらぬ人口増加と都市化が拍車をかけているだろう。スレイマンが登場する冒頭では、豪奢なタワーの建設に従事させられる貧困層と、彼らをとりまく絶望、そしてその中にある希望として(それが決して合理的な選択とは思えない切迫さも含めて)、一人の若者が大西洋に向かうまでの物語が、セネガルの現状を凝縮したように描かれている。

さらに、本作で最も重要な点は、大西洋の先を目指す男たちから取り残された主人公のエイダの視点にある。彼女が結婚の約束をした金持ちのオマールは明らかに、貧困から抜け出すために不法移民船に乗ったスレイマンと対比的な存在である。家族や友人たちは、エイダの悩みを気にかけることなく、金持ちとの結婚がいかに素晴らしいことかを説く。放火を幇助した疑いがかけられ、処女検査を受ける場面では一転して、家族や友人はエイダよりも世間体を気にして、彼女の声を聞くことはない。

本作が描き出すのは、威信や羨望に振り回された男たちを描きつつ、意志も感情もすべて取り残されたままのエイダの物語として、現代セネガルにおける社会問題の一端を彼女の視点から露わにしたものであるだろう。