若者たちのブリコラージュ(タンザニア)

黒崎 龍悟

いままでタンザニアの農村にどっぷりつかってフィールドワークをしてきたが、最近、小規模な水力発電に挑戦し始めたのをきっかけに町在住の職人らとの交流が増えてきた。機械や電気という今までまったく専門外だったジャンルへ分け入るようになっている。

長年通っているタンザニアの南部の町(県庁所在地)はそれほど大きな町ではないし、それなりに町の全容を知っているつもりだったが、最近、現地での活動をともにしている日本人研究者Oさんと歩いてみると、違う角度から捉えることができるようになった。町の通りにはよく「ラジオ・時計修理」という職人が軒を連ねていること、もっと裏道を歩いていくと、携帯電話やいろんな電子機器の中古品・ジャンク品を狭い仕事スペースにため込んで修理したり再利用したりする人たちがいることは何となく知っていたが、電気関係に詳しいOさんと一緒に見聞きすることで、彼らのすごさがわかるようになってきた。系統立った学習を積んでこそ理解・応用できる知識・技術の要所が、そのような学習を経ていない彼らの間ではしっかりポイントとして押さえられているらしい。彼らのほとんどの知識・技術は職人コミュニティで場当たり的に学んだことの蓄積である。そういう人たちが電子基板などを読み解いて説明してくれてもまったくついていけない私は、本当は専門的な教育を受けたのではないかと疑いを持ってしまうのだが、「専門学校で習ったより、ストリート(mitaani)で習った内容の方がはるかに役に立っているね」とさえいう職人もいる。

このような草の根レベルの職人技で一番驚いたのは、ある若者が車一台を手作りしたことだ。バイクのエンジンを流用して、他の部品、ハンドルから車のドアまで全部寄せ集めだ。これで町のなかでビールやソーダの配達を請け負っている。法律的に明らかにダメだと思うが、町の行政官・交通警察官らは取り締まるどころか、近くの都市で開かれた産業フェスティバルのようなイベントにも送り出したということだ。彼のガレージの横にあるボール盤(穴をあけるための機械)も手作りだ。さまざまな廃棄品が、まるでそのための部品であったかのようにしつらえてある。

若者による手作りの自動車

手作りのボール盤

 

またある日には、自転車にバイクのエンジンを積んでいる若者にも遭遇した。彼は普段、携帯電話のプリペイドカードを売っている。写真をとっても良いかと尋ねたら、得意気な表情でOKしてくれた。必要に迫られてやっているというより、本人たちは楽しんでやっているのだ。写真をとりたいといってもカネを払えといわれることはない。むしろ自慢したい気持ちでいっぱいなのだろう。遊び心がなくてはこのようなことはできない。

バイクのエンジンを積んだ自転車。ブレーキが自転車のもののままだが、大丈夫だろうか?

 

このような若者たちの挑戦(?)をみていると「ブリコラージュ」という言葉を思い出さずにはいられない。「ブリコラージュ」というのはフランスの人類学者レヴィ=ストロースが取り上げたことで有名な概念で、「器用仕事」と訳されたりしている。もともとは、専門家ではない人が、ありあわせの道具や材料のなかから思い思いの組み合わせを試して、新しいものをつくりあげる行為を指している。もちろんタンザニアの壮年世代の人たちもこのようなことはしているはずだが、際立っているのはやはり若い人たちの動きのような気がする。近年の経済成長の影響で海外からは新たな電気機器が次から次へと辺境の町へもやってくる。手近な材料で試行錯誤を楽しむ、好奇心に満ちた若者たちにとって、日々更新される中古品、ジャンク品や鉄くずの山は、「宝の山」に映っているに違いない※。そうした「宝の山」との格闘のなかで若者たちは新しい技術や知識を自分たちのものにしていくのだろう。

彼らの行為をブリコラージュと言わずして何であろうか。私も彼らにならって、技術・知識もないくせに日本で使えそうなものをため込む癖がでてきてしまった。目下、どのようにうまく部品を組み合わせて使うかというより、狭いアパートのどこにそれらを保管するかに悩まされているのだが・・・

※先進諸国で不要になった電子機器・部品が処分基準の緩い開発途上国に流れていき、重金属汚染などの環境破壊や人権侵害を引き起こしていることについても注意を払う必要がある。例えば特定非営利活動法人アジア太平洋資料センターによる報告や、国連環境計画によるページを参照のこと。