『サルなりに思い出すことなど』ロバート・M・サポルスキー=著、大沢章子=訳

紹介:西崎 伸子

400ページ超の大作のため、購入するのも読み進めるのも躊躇されるかもしれませんが、心配は無用です。おもしろくて一気に読み終えてしまいました。著者はアメリカ人の神経科学者。幼いときから霊長類に興味があり、21歳でケニアのセレンゲティ平原に生息するヒヒの群れを対象に、ヒヒの行動がストレス性の疾患とどのように関連するのかを研究しています。著書には、1978年にケニアではじめたフィールドワークの舞台裏が非常にユーモラスに描かれています。

著書の大半は、旧約聖書由来の名づけをおこなった個々のヒヒの日常や群れの様子です。ヒヒの行動のユニークさとともに、アカデミックな論文にはみられない「ヒヒ研究者になる秘訣」が紹介されています。たとえば、著者はフィールドで一日一回、決まった時間に吹き矢でヒヒに麻酔をかけるのですが、そのための練習をアメリカの大学の寄宿舎で始め、ついには「吹き矢で食べていける」までに上達するのです。

わたしの関心事でもある、野生動物保護区をめぐる監督官や現地住民(マサイや農耕民)との百戦錬磨の交渉術も数多く紹介されています。著者は21歳までベジタリアンとして生きてきましたが、保護区の監督員が密猟した(!)シマウマの肉をまえに、「道徳的な判断」にせまられながら肉を食す場面、サバ缶尽くしの生活に嫌気がさして心が病んでいく現地アシスタントたち、公園関係者と研究者との根深い対立、そして最後に、著者の愛するヒヒたちにおこる悲劇と対処に奔走する著者の悲しみと怒り、さらに、その原因となるケニアの野生動物保護業界のドロドロとした内幕などです。サスペンスドラマさながらの事件展開にはらはらしますが、わたしがより心を躍らせたのは、著者が南スーダンの奥地に船と乗合トラックでいき、幻想的な農村につくやいなや村人とともに踊り、くせのある現地人と山にのぼり、ソマリ人一団とケニアに戻る長い旅路についての語りでした。

この本には、アフリカの野生動物保護に関心をもつ人であれば、知らない人はいないダイアン・フォッシー(注1)や、リチャード・リーキー(注2)も登場します。世界的な野生動物保護の潮流を背景に、すべての狩猟を禁止するなど、ケニアは東アフリカの野生動物保護やサファリ観光政策の基礎を築きあげた国です。1970年代の環境の時代の幕開けから1990年代の全盛期にかけて、野生動物保護の現場にどっぷりとつかり、ヒヒ研究に没頭してきた著者の回顧録といもいえる本作から、この時代のサバンナの風や匂いが感じられます。アフリカの奥深さが数々のエピソードとともに紹介される本書は、重量さえ気にならなければ、旅のお供としてもおすすめです。

(注1)アメリカの動物学者。ルワンダでマウンテンゴリラの生態系の調査をおこなった。映画「愛は霧のかなたに」のモデル。
(注2)ケニアの人類学者。野生生物公社初代総裁。著書に「アフリカゾウを護る闘い—ケニア野生生物公社総裁日記」(コモンズ、2005年)。

書誌情報

出版社:みすず書房
発行:2014年5月